ADHD的LIFE

ポンコツ管理人による世の中にいる5%のポンコツな人達向けの誰得ポンコツブログ

発達障害は社会人になったら孤独になりがちだけど気にするな

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発達障害で孤独な人は結構多いんじゃないだろうか?

僕は、どこか感情が欠落してしまったのか、
一人でいることが、さみしくないと前、記事に書いた。

 

owaterune.hatenablog.com

いつからなんだろう、そんな感情を持ったのは。
この感情は決して、強がりじゃない。

でも、他人が嫌いというわけではなくて、
人と話すことは基本的に好きだし。

それに学生時代を振り返ると、一部の暗黒時代は除いて、
常に誰かしらの友達と一緒にいた。

便所飯みたいなことは、なかったのになって。

 

学生時代を振り返ってみると、決して孤独ではなかった

学生時代は、そこにいけば誰かしら居て、
それが当たり前のことだと思っていた。

友達と飯を食って、授業を受けて、
そのあとゲーセンによって、対戦したりして。
まだ、時間があるからと、一人暮らしの友達の家に行って、
他愛のない、アホな話をしながら、麻雀とかゲームをやったり。

ありがちで、しょうもない日々が延々と続けばよかったのに、
朝起きたら、大学生のあの頃で、遅刻しないようにダッシュで駅に向かって、
友達と飯を食って、授業を受けて・・・

そんな、SF染みたことを、この記事を書きながら、ふと思う。

「あの頃、当たり前のことだと思っていたことは、
全然、当たり前じゃなかった。」

それは、期限付きの非日常生活で、
これから先、どんなに成功しようが失敗しようが、
もう、そんな日々は戻ってこないのだ。多分、二度と。

 

社会人になってフルタイムで働くようになってからの日々

社会人になり、フルタイムで働き始めると、
「たまの休日くらい、一人で気楽に居たい」って、
以前に増して思うようになった。

ずっと、何でなんだろうなって思っていたけど、
以前の金スマの放送を見たとき、なんとなくわかったことがある。

 

owaterune.hatenablog.com

この記事には書ききれなかったんだけど、
野田あすかさんは、馴れない買い物に行った後、
どっと疲れて寝込んでしまった。

それについて、発達障害は自分が得意でないことをすると
物凄い体力や精神力を使うと、栗原類さんはコメントしていた。

つまり、発達障害というのは、
まともな人と比べると色々と疲れやすいのだ。 
大なり小なり、差はあるのだろうけども。

そして僕は、「普通にフルタイムで働くということに、
普通の人を演じることに、
きっと、無意識にものすごい消耗してしまっている」のだと思う。

だと思う、って曖昧な表現なのは産まれた時から、
発達障害は発達障害でしかないので、憶測でしかない。

なぜ、発達障害はそんなに疲れるかというと、
「普通の人が集中しなくても無意識にできるレベルのことに
僕たちは集中力を使わなくてはならないから」だ。

だから僕は、仕事で消耗しきってしまい、
人付き合いに割く気力や体力が残っていないんだろう。

学生時代にそれができていたのは、
時間的にも、環境的にも色々と余裕があったからだ。

 

孤独っていうのも、案外悪くない

客観的にみると、わりと悲惨な人生に見えるけど、
あまり僕自身は悲観してない。

だって休みの日は気が済むまで寝ていたいし、
起きた後は時間に追われたくないし、
一人でフラっと、あてもなく出かけたりもしたい。

僕にとっては「自分のペースで、その日を過ごせるって
それだけでありがたい」ことなんだ。

なんかさ、世の中って孤独のネガティブな部分ばかり強調しすぎ。
のんびり生きたいって人のことをガン無視してる気がするんだよね。

なので、ひとりも案外悪くない!ってことを主張しておきます。

本当のブラック会社に食い物にされる発達障害や自信のない人達

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最近は、連日ニュースになったりしているブラック会社。
世の中、少しずつだけど、変わってきたなーと思ったり。

ところで、ブラック会社と聞くと何を思い浮かべるだろうか?
テキトーに思いつくまま、単語を羅列してみる。

  • 長時間残業
  • 安月給
  • 給料未払い
  • 飛び交う罵声
  • パワハラ
  • うつ
  • じさつ
  • 体育系
  • 宗教的、カルト的

なんだか、ネガティブな単語ばかりで頭がハッピーセットになっちゃうネ!
アハッ・・・アハハッ・・・。

・・・実際上のやつ全部が揃ったら、
まさに「世紀末ブラック会社」って感じで、
まともな人も、まともじゃない人も
メタルスライムのごとく、速攻逃げだすだろう。

こんなクソみたいな会社は、社会の為にも、人の為にも、
「そして誰もいなくなった・・・」とそっと、世の中から消滅したほうがいいんだ。

だから、本当に気を付けなければいけないのは、
そういった誰もが逃げ出すような会社ではなく、
居心地がよいとすら思える、ありふれている
「本当のブラック会社」だと思う。

僕の、体験談を交えながら、まとめていきます。

 本当のブラック会社は、居心地がいい

突然だけど、「あなたは人生で人から褒められたこと、どれくらいありますか?」

僕は、・・・正直、あんまりない。
それは、何事にも不器用で、成功体験に乏しい発達障害だから。

  • スポーツが人並みにできる子が、うらやましかった。
  • いつも忘れ物をして、先生に怒られて、つらかった。
  • なんでも器用にこなせる、あいつらが、ねたましかった。
  • なんにもできない、自分が、かなしかった。

・・・本当のブラック会社は、
そんな、ヤサグレた心を優しく包み込んでくれるんだ。

ちょっとした成功も、
「○○くん、すごいねー!」
「○○くん、やればできるねー!」
「○○くんがいてくれて、よかった!」

・・・正直言って、居心地が良かった。
だって、自分を頼ってくれる人がいる。
それは今までの人生であんまりなかったから。

だから、例えそれが、

  • 驚きの安月給で
  • ボーナスという概念がなくて
  • というか、残業代という概念もなくて
  • 昇給という概念も、勿論ない

というような、まっくろくろすけなブラック会社だったとしても、だ。

 

 本当のブラック会社は、お金の代わりに居心地を提供する

「あなたが、社長でお金は無いけど、誰でもいいから働く駒がほしいとき、どうしますか?」

一見すると、どうしようもない、わがままな条件に思える。
だから、そうした場合、フレンドリーさを前面に押し出すしかないだろう。

「アットホームな職場です!」

「上下関係関係なく、風通しの社風です!」

そんな、うたい文句で、肩を組んじゃってる社員の写真が貼られている、
よく見る、典型的なアレな広告。

ついでに、一つフレーズを付けて考えておけばいい。
「ただし、給料面は劣悪です!」

ってね。

そう、払える対価がなければ、居心地を提供するしかない。
だから、経営陣や上層部はやたら優しく接してくれる。
それは、それは・・・過剰なまでに。

そうやって、居心地の良さ重視の人たちを集めていくのだ。

 

その過剰なまでの優しさは、伝染していく

人は、自分がされて嬉しかったことは、
他の人にも、してあげたくなるもの。

それに、もともと金銭よりも居心地の良さを取った人たち。
だから、後輩社員にも基本的にフレンドリーだ。

中には高圧的な人も居たけど、そういう人はすぐ辞めていった。
給料面もそうだが、それに何か居心地が悪く感じたんだろう。そういう人には。

そうして、組織は似たような人材ばかりになっていく。

どこか、おっとりとした人ばかりで、よく言えば、やさしく、
わるく言えば生ぬるい。そんな環境になっていく。

その環境は、ADHDの僕には・・・居心地が良かったんだ。

そしていつしか、ものすごい悪条件で働いていることに文句を言う人もいなくなる。

 

本当のブラック会社は、いつしか、宗教的になる

そうして、そういった生ぬるい居心地がよい雰囲気が、
どんどん・・・どんどん、濃縮されていき・・・

いつしか得体の知れない、宗教的なものになっていくんだ。

 

「残業代が出ないのは、仕事が遅い人と早い人で不公平を無くすためだ!」

と教祖が言えば、それが信者にとって真実になり、不満はなくなる。

 

「明日やれることは、今日やれ!」

と教祖が言えば、信者は明日に回そうとしていた仕事を今日やるだろう。

そして、本当に恐ろしいことは、大半の信者たちは何も言わない。
疑問にも思ってないんだ。本当に。

まるで思考が停止している、命令通りに動くロボットみたいだった。

 

本当のブラック会社は、疑問を持ったものは、迫害される

僕がいた、その会社には僕も含めて4人の同期がいて、
仲は、そこそこよかった。

同期4人のうち、僕と1人は、そんな宗教的な会社に疑問を持っていて、
残りの2人は、頑なに会社を信じていた。

疑問を持ちながらも、日々、働いていた、僕であったけど、
経営情勢が悪化して、おいうちのように
タダですら、ペッラペラの給料が、さらに削られることになった。

・・・それでも、信者達は、愚痴すら言わない。

この人たちは、もしかしたら給料が米やミルクで支給されても、
何も言わないんじゃないか?とさえ、思えた。

僕たち2人は、さすがに愚痴を言わざるおえなかった。
上層部がいない、小グループの飲み会で、
気が知れた先輩に、僕たち2人は疑問に思っていることを愚痴った。

そしたら・・・

普段、気の優しい、おとなしくて、
面倒見のいい先輩が、ものすごい怖い顔をしていた。

そして・・・

「世の中、金じゃない!」

「俺だって、我慢しているんだよ!」 

「なんで、そんな会社のことを悪く言うんだよ!」

「みんな仲良くやってるじゃないか!それで、それだけで、いいんだよ!」

と、さすがに、怒鳴りつけるまではいかなかったけど、
普段のそれとは、全然違う雰囲気で、語っていた。
まるで、先輩自身に言い聞かせるように。

そして、僕たち2人は悟ったんだ。

「この会社では、疑問を持ってはいけないんだ」って。

 

本当のブラック会社を辞めた僕と、同期のその後

結局、僕はそのあと、半年もしないうちに、その会社を辞めた。

発達障害で何事にも不器用な僕に、
優しくしてくれた会社ではあったけど、
何かの拍子に疑問に思ってしまった。

一度、疑問を持ってしまうと、その手の会社はすべてがうさんくさく思えてしまったからだ。

疑問を持たなければ、今でも、働いていたのかもしれない。
それか、不器用だからこそ、疑問に思えたのかも。

器用な人こそ、その環境に適応しようとしてしまうのかもしれない。

 

同期のうち会社を信じていた1人は、僕が会社を辞めた後、
身体を壊してすぐに実家に帰った。

ただですら、ペラッペラの給料で、その上、
うつが悪化して休職せざるおえなくなった。

休職中の給料は6割くらいしか支給されない。

やっすい給料で貯金もできなく、
一人暮らししていた彼は、
医療費と生活費が維持できなかった。

結局、そうなったとき、会社を辞めて実家に帰るしか選択肢はなかったんだ。
そして、その時になったら、会社は結局、なにもしてくれなかった。

先輩や会社の言っていた「世の中金じゃない」は真っ赤なウソだったんだ。

 

もう一人は、疑問を持ちながらずーっとその会社で働いてきたけど、
ついに限界が来たらしく、辞めるから同期3人で飲み会しようよと連絡してきた。

3人というのは、前述した1人が、実家に帰っているからだ。

数年ぶりに再会して、驚いた。
僕と同じようなスタンスの彼は、元気そうにしていたけど・・・。
もう一人は、当時の面影がなくなりかけていた・・・。

髪の毛は額が前面にでてしまうくらい、後退してしまい、
体系はかなりだらしなくなっていた。
昔はさわやかな好青年だったのに・・・。

聞くところによると、遠い地に半年単位で出張して、
夜中の3時まで仕事をしていることも、ざらにあるらしい。

そして、残業手当は60時間を超えないと、一銭も出ない。
もちろん、その分、基本給が高いわけではない。(むしろ安い)

顔色も良くなかったので、さすがに心配になって、
「会社は、体を壊しても何もしてくれないよ、前の同期を見ただろう?」

と、言っておいた。
すると、

「それはわかっているよ。でも・・・(この会社は居心地がいいんだ。)」

と答えた。
()の部分は、僕が、脳内保管した言葉。

彼は、僕よりは優秀だけど、そこまで優秀な人ではなかった。
だから、きっと自分を認めてくれる、会社に尽くしていきたんだと思う。
かつての僕のように。

気持ちはわからないわけではない。
なので、そういった話は・・・それっきりにしておいた。

 

どうしようもない、やるせなさを感じる

帰り際、1人で電車に乗った時、どうしようもない、やるせなさを感じた。
確かに、周りの人達が、やさしくて、認めてくれる環境は大切だ。

でも・・・
それでも・・・

「人の人生は有限で、働ける期間も有限で、

 それを簡単に投げ売りしてしまっていいのだろうか?」

そして、そういった人の善意に寄り掛かりすぎている会社を、
どうにかできないのだろうか。

そんな、1人ではどうしようもないことを考えた、同期との再会だった。

発達障害がうざいと思われない話し方について記事にしてみた

発達障害はコミュニケーション力も人並みになかったりする。
オールマイティーにいろんなことが苦手な発達障害。
なんだかいろんな意味で楽しくなってくるね。ハハハッ・・・。

もちろん僕もわりとコミュ障。
というか、いつのまにか一人でも
さみしさというものを感じなくなってしまった。

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文章でこんなこと書くと、
なんだか自分のことが感情がないロボットみたいに思えて、
アレ ナンカ イキテル イミ ナインジャネ?

と、頭の中をぐるぐる・・・ココロのヤミが・・・

 

まぁ・・・
ココロのヤミさんはそこらへんに投げ捨てといて、
やっぱりコミュ障でもね、

生きていくうえで人と「はなす」ということは大切なこと。

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で、「はなす」ということからは、逃げることができない。
無人島で一人暮らしでもしない限りは。

だから・・・

人とコミュニケーションが苦手だったとしても、
例え、上辺だけの付き合いだったとしても、
それを切り抜けられるだけのコミュ力、

うざいと思われない為の話し方」が必要なのだ。

 

暗黙のルール、会話はターン制

会話はよくキャッチボールに例えられる。

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キャッチボールは相手と投げ合わないと成立しないので、
会話も同じように投げ合わないと成立しないという話だ。

・・・有名な例えなんだけど、
なんだか自分にはしっくりこない。

どちらかといえば会話は

将棋、囲碁、オセロ、ドラクエの戦闘みたいな、
先攻後攻がわかれるターン性方式だと勝手に思っている。

 

将棋の対局で、対戦相手が何食わぬ顔で、
2回連続で駒を動かしてきたら腹が立たない?

てめーなに勝手なことしやがってんだ!

 ってきっと藤井四段でも思う・・・かもしれない。

 

 ドラクエでも2回も3回も行動してくるボスいるじゃない?

てめーなに勝手なことしやがってんだ!

っていつも思いながらプレイしてるもん。

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つまり、決められたルールを破られると人はイラつく

 

これは会話も同じで、
人は話してる最中にさえぎられたりすると、

てめーなに勝手なことしやがってんだ!

と、ルールを破られるとイラつく法則に基づいてイラつくのだ。

ADHDは衝動性という特性から、
ついつい思いついたことを口に出してしまいがちなので、
このルールを意識して守らないといけない。

とりあえず、おちつくのだ。
そして心の中で呪文を唱えよう。
まだ自分のターンは来ていない。
まだ自分のターンは来ていない。

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・・・バカみたいに思えるかもしれない。

でもこうやって、心の中で暗唱する癖をつけておくと、
いつのまにかそれが習慣になって、
いつの日か、それが当たり前のようにできたりする。

その話し方ひとつで、何か人生が変わることだて、
あるかもしれないのだから。

 

まずは聞き手役に回れば大体うまくいく法則

世の中において、話したがりの人は結構多い。
逆に言えば、その人達に気に入られるには聞き上手になればいい。

聞き上手になるには次の単語を使えば大体OKだ。


・へーそうなんですかー!

・すごいですねー!

・しらなかった!

・私もそう思います!

・なるほどー!

・おもしろいですねー!

・今度○○してみます!

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話したがりの人は自分の意見を肯定してほしいことが多い。
なので、とりあえず共感しておく。

あ、それテレビでやってたから知ってるわ・・・
みたいなことは言ってはダメだ。
あくまで、初めて聞いたような顔をしながら、

しらなかったー!すごいですね!

と、しれっと答えればOK。

また、それ前にも聞いたわ・・・って内容も、

へーそうなんですかー!

と、はじめて聞いたような顔。

というか、もうずっと相手のターンにしてもいい。
たまに、意見を求められたときだけ答えれば大体うまくいく。

まぁ勿論わざとらしくしすぎるのは良くないけど、
ちゃんと自分の話を聞いてくれるんだ。
そう思ってもらえることは大事で、それだけで評価されるのだ。

 

まとめると会話はディフェンスでいこう

まずは、会話に割り込んで不快な思いをさせないようにする。
会話に自信が無いなら受けに回るのだ。

発達障害ならディフェンス重視な位がちょうどいい。

まぁディフェンス重視同士で話さなきゃいけない時は大変だけどね!

そういう場合はとりあえず、
天気の話、住んでるところの話、飯の話
あたりをして切り抜ければいいってばあちゃんが言ってました。

人生において側転が一度たりとも成功したことがない

自分のスーパー運動音痴っぷりを調べていくと、
僕はどうも、

発達性協調運動障害

とかいうやつらしい。

ハッタツセイ キョウチョウ ウンドウショウガイ・・・

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なんかあれだな、もうそういう難しいのよくわからないからさ、
もうシンプルに運動音痴でいいと思わない?

なんならポンコツウンチとかでもいいと思うんだ。 

そんなポンコツウンチな僕なので、
もちろん器械運動なんて大の苦手。

当然、人生において側転が一度も成功したことがない。

  

側転ができなければ、普通の子供でいられない

 

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小学校の器械運動において、
凡人かそれ以下のボーダーラインは側転ができるかどうか?

で、大体判定される。

 

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もちろん僕は残念な子。

このヘタクソなピラミッド図、底だけ人口少ない。

残念な子は残念なことに少数派、
側転は普通にできて当たり前なのだ。

 

そして、忌まわしい記憶だけど・・・

器械運動は大抵、成績を付けるために、

クラス全員に観られるミニ発表会的なものが開催される。

 

いまから発表会します。みなさんは自分のできる技を3つ組み合わせて披露してくださいね!

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先生、ぼくは・・・前転しかできません・・・

え、じゃあ○○君は・・・、
 えっと、前転だけして、お芋さんコロコロしてくださいね!

先生は触ってはいけないものに触れたような顔をしながら、
こう答えた。

ところで、お芋さんコロコロとは・・・
こういった残念な子に対しての救済措置みたいなもので、
どんな技かというと、

 

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本当に芋のように、無様にマットを転がるだけ。

ね、簡単でしょう?
(みんな・・・〇ねばいいのに・・・)

 

結局、先生の指示にしたがい、
唯一できる、前転をしたあと、
お芋さんコロコロを無様にやり終え、

今にも死ぬんじゃないかと思うような顔でマットを立つ。

しーん・・・。と、静寂が場をつつむ。
(おかしいな・・・笑われると思っていたのに・・・)

 

そして、

まぁ・・・元気出せよ、人間向き不向きがあるって・・・

 

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仲が良かったO君のそんな一言。
(うるせー・・・もう放っておいてくれ・・・)

 

そして、学んだ。

人間は本当に残念な人を見ると、無かったことにするらしい。と。

 

大人になれば、側転ができないことは問題ないのか?

側転ができないという、トラウマはできたものの、
大人になればどうということはない。

仕事の経験に側転ができること、
なんて仕事は99.999%存在しない。

ただ、一つ問題があるとすれば・・・

・・・僕には殆ど関係ない話だが、
自分の子供がてきた時だ。

例えば、
僕にかわいい女の子の子供がいたと仮定して、
その子供が小学生に上がって、
体育の授業で側転を習ったとしよう。

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お父さん、そくてん おしえて~

 と無邪気な笑顔で教えてほしいと言ってきたらどうする?

まさか、まさか、

お父さんは・・・側転はできないよ

と言えるのだろうか?
いや・・・言えるわけがない。

きっと僕は、またこんな顔をしながら、

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側転は考えるんじゃない、感じるんだ

とか屁理屈を並べて逃げるんだろう。多分。

 

器械運動は僕にとってトラウマしか生まなかった。
普通に側転ができる子供になりたかった。
そんなしょうもない話でした。

ADHDはプログラマーに向いているのか?プログラマーだったADHDの僕が考えてみた

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発達障害の向いている職業等をネットで検索すると、ADHDの向いている仕事としてプログラマーが含まれるいることが多い。

でも逆に向いてないとされる記事も多く、結局のところ、どっちなんだよと思う方もいるだろう。

僕は一応、名乗っていいのかは判らないレベルだけど、プログラマーが最初に就いた仕事。何故、わざわざブラックと巷で定評がある、SE・プログラマーという修羅の道を選んだかというと、何かを作るとする作業が好きだったからだ。

それに逆に言えば、それくらいしか自分には人並みに出来そうになかった。
なので、そんな視点からADHDがプログラマーに向いているのかを僕なりの持論で書いていく。

 

自分で何かを作るということが好きな人は向いていると思う

結論から言えば、何かを作ることに喜びを感じられる人がなるべきだ。
勿論、プログラマーはクリエイティブな仕事なのかは言いきれない部分も沢山ある。

それでも、プログラミングや資料作りはコピペだけではできない。

自分で考えて、自分で想像して、形の無いものを形にしていく」。
それが楽しいと感じる人なら僕はそれだけで向いているんじゃないかと思う。

僕も昔から何かしらのモノを作る遊びが好きだった。
自分の頭で考えたことを何らかの方法で具現化していく、それは「必ずしも正解がない自由が利く遊び」。

自分にとっては、こんな遊びだった。

・レゴブロック

・作文

・お絵描きや漫画

それが人よりは得意で、それが僕の数少ない長所と言うことは、幼い頃からぼんやりとだけど、わかっていた。 
特にレゴブロックなんか、限られたパーツでガンダムみたいな関節がちゃんと動くロボットを作ってたし、なんか無駄に才能があった。全く役に立たないけど。

ざっくり言うと、プログラマーが向いている可能性がある人はまず、形が無いものを形に変えていくことが好きな人なんだと思う。

でも、それが好きであっても、肝心なプログラミングが苦手なパターンもある。

 

興味がある人はパソコンが無いならとりあえず用意しよう

なんとなく上記に俺は当てはまりそうだぜ!プログラマーにも興味がある!って人はとりあえず、パソコンを用意しよう。

このブログ見てんだから、パソコン使ってるにきまってるじゃん!と思う人もいるだろう。

今の時代はスマホとタブレットがアクセスの7割を占めるくらいで、パソコン持ってないし、触ったことない人でもブログを読んだり書いたりしている人はたくさんいるのである。

とりあえず、上記の人でプログラマーには何か興味があるんだけど・・・って人はパソコン買ってみるのもありだと思う。
タイピングだけでも出来るようになっておけば、いざパソコンを使わざるおえなくなったときに役に立つし。

パソコン初心者さんなら【FRONTIER】 みたいな「BTOショップ(通販)で予算は5万円くらいのノートPCをチョイスすればいい」。

というのも、街の家電量販店でパソコンを買うと、メッチャいらないわけわからんソフトが盛りだくさん入っていて、しかもその分、きっちりと高いのだ。 

あと、NE〇だろうが、Pana〇icだろうが、S〇NYだろうが、基本パソコンの性能差ってメーカーではないから。ブランド力の差と価格の差があるだけで。

その点、BTOショップのパソコンはいらないソフトは入っていないから、とにかく性能の割にコスパがいい。

なのでパソコンを買うときはBTOショップがおすすめです。

 

実際にプログラミングをやってみるには

とりあえず、パソコンを用意したって人は何らかの方法でプログラミングを学ぶ必要がある。

極論から言えば、独学でもなんとかなるんだけど、とっつきやすさとしてはやはり人に教えてもらうほうがいい。

独学だとワケわからん!ってなって投げ出してしまう可能性があるので。

人に教えてもらう主な方法としては、

 

・学生なら情報処理系のコースに進む

・無職なら職業訓練校に通う

・社会人ならお金を出して教えてもらう

・まったく経験ないけどプログラマーとして採用される

 

等が主なパターンかな。

僕は学生の時、情報処理系のコースだったので、そこで基礎を学んだ。
無職のあなたは絶好のチャンスで、無料で教えてもらえる可能性があるどころか、失業保険を貰いながら、教えてもらえるチャンス!

 

owaterune.hatenablog.com

社会人でお金を出して教えてもらうパターン。
昔なら、どこかの専門学校に忙しい日々の合間に通ったりしないと行けなかったんだろうけど、そこは今の時代、インターネットでカリキュラムを受けれたりする。

無料体験もあるみたいなのでやってみるのも手かもしれない。

オンラインブートキャンプ 無料体験

そしてそして、最後のまったく経験ないけどプログラマーとして採用される。
これを選ぼうとしているあなたは相当なギャンブラーですね?

まず、プログラマーは未経験でもなれるのかと言われれば、なれる。
なったうえで、研修とかで学ぶことはできるのか?と言われれば、できる。

なので、いきなり一か八かやってみるぜ!ってのもありと言えばあり。

ただ一つ心配なのが、適性があるかどうかだ。

正直、プログラミングというものはとことん向いていない人には向いていない。
たとえば、こんな感じのコードがあったとする。

z = 5

x = 1

y = 0

z = y + x

この数式の羅列、プログラミング的にZの最終値は何かというと「1」なんだけど、これが何で「1」になるのかわからないという人がいる。

学生時代、授業を一緒に受けた友達は、発達障害ではないと思うんだけど、Zの「5」はどこいったのか?彼はそこに集中してしまう人だった。

彼は高校は進学校に通ってたし、頭も悪くない。ただ、プログラミングには向いていないらしく、いつもプログラミングの授業を受ける時は大変そうにしていた。

なので、そういった人が自分の適性の無さに気づかずプログラマーには簡単になれたけど、全然意味ワカンネ!となってすぐ辞めてしまっても履歴書が汚れてしまうことになるだけなのでお勧めはしない。

一度やってみて、「プログラミングはよくわかんない部分もあるけど、ちょっとだけ面白いな」と感じるなら仕事にしてもよいかもしれないのです。

 

既にADHDでプログラマーをやっていて向いているのかわからない人は?

まず、コーディングや資料作成は好き(苦痛ではない)であれば、本当はプログラマー自体は好きだったりするんじゃないかな。

ADHDで注意力がないからバグやミスをしてしまうという人、多分それはどんな仕事でもそうで、僕もそうだけど、これはプログラマーだからという話ではない。むしろコンパイラがミスを指摘してくれる分、他の仕事よりもある意味楽だと思う。(他の仕事も経験した上で)

何故こんなことを書いているのかというと、当時のプログラマーだった自分を振り返って、どちらかといえば、「プログラマーに向ていないと言うより社会生活に向いてない」と言ったほうがしっくりしたからだ。

だから、プログラマーなんて向ていないんだ!辞める!って考えている人はまず、その向いていないと考えているのは、本当にプログラマーという職種なのか考える必要がある。

それが改善できるのなら、無理に辞めたりしなくてもいいわけだから。
逆に、そこが改善できなければ、どの仕事をしても同じ問題はついて回るんだから。

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あ、勿論ブラックすぎてもう体も心も限界だって人は考えたほうがいいです。
というか実際はそこが一番の問題だったりするので困りものだ・・・。

忘れ物が多いADHDにピッタリの便利グッズを紹介

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ADHDの僕はとにかく物をどこかにやってしまう。
無くさないまでも、どこに何をやったのかわからなくなり大慌ては日常茶飯事。

結局、鞄の変なところに入っていたり、ポケットに入れて洗濯されていたり、もうホントにポンコツだ。

先日はADHDあるあるで、とにかく傘をどこかに忘れると書いたが・・・

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まぁ傘だけではなく、まんべんなく何かをどこかにモノを無くす。
そこに物がある限り、ADHDはモノを無くすさだめなのかもしれない。

正直、傘なんてものはどうでもいい、無くすんだから安いのしか買わないし。いいんだ。うん。そういうことにしておこうね。

そもそもモノをなくすのは大体家の中だったりする

そもそも、大体のところ、無い無い!って大騒ぎするシチュエーションは決まっている。
自分の家でスマホや鍵をどこかにやってしまう」のが殆どだったりするのだ。
家の中だと、外とは違って緊張感がなくなって、ポン!と無意識にどこかにおいてしまうことが多い。
普通の人ならそれでも、どこに置いたか記憶をしているのかもしれないけど、ADHDはワーキングメモリ周りの能力が普通の人よりしょぼい。

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なので、仕事で疲れて家に帰ってきて、まずは着替えしなきゃとかそんなタイミングが一番危ない。

ただですら無い注意力が家に帰ってきてホッとしているのと、疲れで高確率で家の鍵を変なところに置いたりするのだ。

もう家の中を大捜索するのはうんざりだ

そうして無意識にどこかに置いた鍵なんかは、「出かける寸前になって鍵が見当たらない!」とか言い出すわけで、これはもう最高にイライラするお決まりのシチュエーション。

車や自転車の鍵が見当たらなければ運転はできないし、家の鍵が見つからなければ家からでることすらできない。

で、そういう時に限って家の戸締りをしっかりしてしまい、また電気を付け直したり空調を付け直したりと、もう書いているだけでイライラしてくるレベル。

そうして大騒ぎして、部屋の中ひっくり返して探して、しょーもないところにあったら家族や恋人からぶん殴られても仕方ない。

これさえあればもうイライラしないで済む!

そういったイライラなシチュエーションを回避できる便利グッズがコレ!

キーファインダー 探し物発見器 忘れ物防止 落し物 ・忘れ物防止 Key finder
キーファインダー 探し物発見器 忘れ物防止 落し物 ・忘れ物防止 Key finder

 

使い方は超簡単で、キーホルダーとして受信機を探したいものにくくりつけておき、リモコンでボタンを押すだけ。

そうするとリモコンの感度範囲ないにあればビーっと音がなってあることを知らせてくれる。

スマホをどこかに変なところに置いちゃった場合、他の電話から鳴らしてみて探したことはないかな?あれと同じような感覚で色々なものが探せるのだ。

これさえあれば、タンスの上に置いた鍵も、鞄の中に入れっぱなしのスマホも簡単にみつかるだろう。

よく家をひっくり返して大捜索している人にはお勧めの一品だ。

金スマ「発達障害について考える」をADHDの僕が考える

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2017年7月28日放送分の金スマで発達障害についての放送回があった。
発達障害をもつ、ピアニスト野田あすかさんの特集だ。
この記事はネタバレを含みますので、お気を付けください

僕は、正直最初は観る気があまり起きなかった。
というのも、どうも、この手の番組は昔から苦手だからだ。

障害持ちの人でも才能があって、それ次第では表舞台に立てるんだみたいな番組。
まるで、障害持ちのすべての人がそうであるように報道されて。

でも、当たり前のことだけど、実際は多くの人はそうじゃなくて、どうしようもない社会生活で苦しみもがいている。
だから今回もまた、一部の輝いている人だけにスポットをあてた、そんな番組なんだろうなと思っていた。

番組冒頭、発達障害の説明のテロップが流れる

番組冒頭、簡単に発達障害の症状の紹介がされた。「日常生活に支障をきたすことがある脳の機能障害の総称」。
言語」「社会性」「運動」等に何らかの障害があり、15人に1人くらいの割合に何らかの発達障害があるとのこと。

正直、その割合に驚くことはなかった。学生時代のクラスメイトに必ず数人はいたから。
そのうちの1人が僕で、今何とか生きていて、他の数人は・・・一体今何をしているのだろうか?そんな考えても無駄なことが頭によぎった。

それにしても、15人に1人という別にレアでもなんでもない症状に発達「障害」なんて大それた名前、付けていいのだろうか?

なんとなく、頭の中で「形が悪くて出荷できないキュウリ」が浮かんだ。
ちょっと曲がってしまったキュウリは経済が発展した日本では売り物にならない。
それと同じように、ちょっと変なところがある僕たちは発展した日本では扱いづらい代物なのかもしれない。

ピアニスト野田あすかさんの特集が始まる

前述のとおり、僕は観るまではあまり良いイメージがなかった。
というか、正直うらやましくて、そして妬ましかった。

・自分の趣味に没頭できる環境があって

・両親の理解もあって

・それをモノにできる才能があって

この条件が揃っているのだから、自分には用意されなかった環境が揃っているのだから。

でも、それは番組を観るにつれて間違いだったことに気づく。
彼女は僕よりも、ずっと症状が重かった。

彼女は、大好きな得意なピアノですら一つの曲を弾けるようになるまで一か月かかるという。

それは、発達障害の症状で、楽譜がうまく読めないから。
正確に言えば読めないわけではなく、弾きながら読めない。
物事を同時にすすめる(マルチタスク)に極端に弱く、弾きながら読むということがうまくできないのだ。

だから、彼女は新しい曲を覚えるために、スマホに録音したり、楽譜にマーカーで色を塗って視覚的に分かりやすくしたり、カスタネットでリズムを覚えたりと、人の何倍もの労力を使って曲を覚える。

そして、本番中にも頭の中で他の曲が流れてくることがあるという。
これは僕もあることだが、集中しなければいけない局面で、全然違うことを思い浮かんだり考えたりしてしまう。「衝動性」というやつだ。

もちろん、発達障害の「好きなことや興味のあることを何時間でも熱心に取り組む(過集中」のおかげで、ひたすら練習できるという面もあるのだろう。

でも、これが発達障害がない人なら楽譜を見ただけで弾けてしまうだろうし、本番中は衝動に悩まされることもないわけで・・・普通の人でも好きなことなら時間を忘れて熱中できるだろうし。と、ついたらればで考えてしまった。

日常生活に支障をきたす程の発達障害

その後、彼女の日常生活が報道された。

極度の方向音痴

一つの料理を覚えるのに1か月かかる(マルチタスク)

アドリブが全く効かない

子供の頃はほかの子がのっぺらぼうに見えた

これらは僕も苦手ではある。車を運転していたら慣れた道でも通り過ぎる時があるし、電話応対は出来る限りやりたくない。
アドリブは苦手だし、人の顔や名前を覚えるのは得意ではない。

でも、僕がそれらの苦手レベルを1だとしたら彼女は苦手レベル10くらいで。
正直レベル1でも結構生きづらいのにレベル10くらいだとしたら、普通の社会では生きていけないレベル。

だからこそ、ピアノを極められたのかもしれないけど、その代償はあまりにも大きいように思えた。

ピアノをやっていてよかった

彼女のピアニストとしての活躍の場に舞台が移った。
一人でのコンサートの風景から始まり、それは大成功に終わり、今度は初めてのオーケストラとのコンサートだという。

発達障害は普段と違う環境に適応するのが苦手で、彼女も例外ではなく、音に敏感な彼女はオーケストラと自分が奏でる音に混乱し体調を悪くした。

それでも何とかオーケストラとピアノが合わせられるようになり、コンサートは無事成功に終わった。

弾き終えた後、彼女は泣いていた。
取材の人が何で泣いていたのか聞いたところ、彼女は「オーケストラの人たちと音楽を通じて友達になれた。ピアノをやっていてよかった」と泣きながら語った。

僕は・・・思わず泣いてしまった。
この言葉は純粋にピアノをやっていてよかったことと、それまでの辛く暗い人生の二つを併せ持ったようなものだったから。

 

金スマ「発達障害について考える」を観てよかった

綺麗ごとばかりの番組でなくてよかった。

発達障害については、彼女みたいに重い症状ではない人のほうが多いだろう。
でも、大なり小なりそういった症状があって、自分の経験と重ね合わせたりして共感できる部分があるのではないかと思う。

記事には紹介しきれなかったけれど、コメンテーターとして出演していた栗原類さんも良いことを言っていて「自分の進路を理解してくれる親御さん」が大事と語っている。

もちろん、すべての子がうまくいくわけではないけど、できるなら応援してあげてほしい。