発達障害とグレーゾーンの境界線で悩んだら考えるべき2つのこと
自分が発達障害であると、自覚・診断されていると、時々わからなくなる。
一体どこからが普通の人で、どこまでが普通の人なんだろうと。
コレができないことは普通なのか、発達障害だからできないのか。
それは自分が発達障害ではないかと疑っている人もそうだろう。
発達障害と言うグレーゾーンの障害は、とても曖昧なものなのだ。
今回は発達障害のグレーゾーン問題についてみていこう。
何らかの障害を抱えている人たちは日本に5%以上いる
このブログのサブタイトル、世の中にいる5%の~というように、統計の所説は色々あるけれど、人口比における発達障害の割合はとても高い。
その5%も発達障害と分類されているが、症状は人によって様々だ。
- ASD(自閉症・アスペルガー)
- ADHD(注意欠如多動性障害)
- LD(学習障害)
これらの症状は同じ発達障害と言っても全然異なる。
そして個々の症状のレベルも全然違う。
同じ発達障害でも、僕みたいに騙し騙し何とか生きている人もいるし、
以前紹介した「発達障害のピアニスト 野田あすかさん」のように症状が重い人もいる。
そもそも、発達障害といってもASD・ADHD・LDで症状は違うし、併発しているパターンもあるしで、同じ発達障害に分類されていると言っても、その症状や濃さは人によって様々だ。
一つ共通して言えるのは、能力がデコボコしている、普通の人から見れば「規格外の人たち」と言うことだろう。
グレーゾーンの発達障害でも生きてく上では十分困る
確かにグレーゾーンの発達障害なら、「何とか」生きていける。
「何とか」だから、色々無理をしながらということだ。
グレーゾーンの厄介なところは、「他人から見たら何でもない普通の人」ということ。
それは親からみてもそうだ。
普通の人として見られるから、普通のことはできて当たり前。
「何でこんなこともできないの?」
「甘えてんじゃないの?」
甘えてーんじゃねーぞマンが沸いてくるのだ。
グレーゾーンな問題の一例として、僕の経験談をあげてみよう。
僕はADHDのせいか空間把握能力が低い、いわゆる方向音痴なのせいで、仕事で結構失敗している。
具体的にいえば、仕事の客先で工場の部屋に入ることになった。
その工場は広大で無機質。一度道順を紹介されたくらいでは、僕には正しい道順を覚えてその部屋に入ることは困難だ。
でも、周りの人たちにとっては一度で道順を覚えることは普通のことだった。
そして方向音痴の僕には無機質な工場の道順を一度で覚えることは、工夫しても難しく、迷子になってしまう。
- 一度目の失敗は、「誰でもあることだよ」で片づけられる。
- 二度目の失敗は、「次から気をつけろよ」で済まされる。
- 三度目の失敗は、「前にも言ったろ」で目をつけれる。
迷子と言っても、管内放送で呼び出されるわけじゃなく、少しだけ集合場所に遅れるくらいの話だ。
それでも十分バッシングの対象になってしまう。
そういった、一見すると「些細な適応力の低さが、社会で生きるということにボディーブローのようにジワジワ効いてくる」。
普通と発達障害のボーダーラインとは何なのか
上記のようなことは誰にでもあることかもしれない。
よく自分でもわからなくなるのが、失敗の原因が発達障害のせいかどうかだ。
言い換えれば、「その失敗は発達障害だから仕方ないと思い込むか」だ。
僕は発達障害だから仕方ないとは思いたくない。
だけど、確かにどうしようもないこともある。
・・・本当にどうしようもないことは、諦めるしかないかもしれない。
でも、グレーゾーン程度の発達障害なら工夫することで補えることが多いのだ。
発達障害だから、と思考停止して全てを諦めるのはあまりにも情けない。
そもそも、普通や発達障害の定義ってなんだろう。
実を言うと血液型診断みたいな、曖昧なもので、本当は定義なんかないのではないか。
本当に大事なことは、きっとこの2つしかない。
- 自分の弱点や欠点を見出してそれを補うこと
- 自分の得意なことを見出してそれを延ばすこと
世の中の曖昧な定義は確かにそういった傾向がある人には参考として役に立つ。
けど、結局のところは、自分のことは自分が一番わかるはず。
だから、悩んだら自分をまっすぐ見てみよう。欠点も長所も。
少しずつでも、いいから。
以上、発達障害とグレーゾーンの境界線で悩んだら考えるべき2つのことでした。