辛い事から逃げることは悪いことでは無い。逃げる選択肢をもつ大切さ
連日ニュースで報道される、いじめ・パワハラや過労の話。
とても嫌な話だけど、日本という国に住んでいる以上、どこか当たり前の話になってしまっているのは悲しい。
日本社会は村社会が根強くて、閉鎖的で人と違うものを極端に排除する傾向があるという。
「出る杭は打たれる」なんて、ことわざは、まさにその象徴とも言える。
最近、「よく日本最高!うぇーい!!ニッポンは世界イチィィィイ!!!」みたいなテレビ番組が多いけど、正直、日本と言う国は、どこか陰湿で生き辛い面も多々あると僕も思う。
暗い話ばかりしても仕方ないが、そういった負の面からは目を離してしまっているのではないだろうか。
良い言い方をすれば個性が強い、悪く言えばポンコツな発達障害はもちろん、そうでない人も、残念ながら、日本社会は、ちょっとした出来事でいじめの対象になりやすいのだ。
今回は、不幸にもそういった事に巻き込まれてしまったときの為に、逃げるという選択肢について記事にしてみた。
逃げることができない理由
日常的にある、同級生によるいじめや、ブラック会社の悲惨な話。
限界まで我慢することない、「自分を追い込む前に逃げてしまえばよかったのに」・・・と思う人も多いだろう。
でもね、我慢している人たちはそういった「逃げる」という、発想自体がないのかもしれない。
学生なら、通っている学校の世界がその子にとって殆どの時間を過ごす場所だ。
大人だって、行動範囲は広がっても、大抵の人はやっぱり就職した会社が殆ど自分にとっての世界となるだろう。
世界は広い、のは確かだが、一人の人間が触れられる現実的な世界は、やっぱりたかが知れていて、大抵の人は狭くて閉じた空間で生きている。
どんなにテレビやインターネットが発達して、世界中の情報がリアルタイムで見られるようになっても、それは情報として見ただけで、その世界にいるわけではないのだ。
そして、人は追い込まれると、周りのことが余計に見えなくなる。
「自分にとってはその世界が全てだから、その世界で傷つけられたり、拒まれたりしても、自分が悪いと責めて、耐え続けてしまう」。限界まで。
本当は、視野を広げれば、逃げ道は沢山あるのに。
逃げてもいいんだよとは教えてくれない
何かの危機が訪れたとき、逃げることは一般的に悪いこととされている。
例えばマンガやアニメで主人公は色々あっても逃げたりせず、最後は立ち向かうのがセオリーだ。
エヴァのシンジ君も「逃げちゃだめだ・・・逃げちゃだめだ・・・」って言ってるし、ドキュメンタリー番組とかでも「あの時、諦めないから今があった」みたいな作りはよくあるパターン。
だから、基本的にはどんなに困難があっても「逃げずに立ち向かって頑張ることが大事」とされている。
勉強から逃げてはダメ。
部活から逃げてはダメ。
学校から逃げてはダメ。
仕事から逃げてはダメ。
何故なら、勉強から逃げたら碌な学校にいけないよ。
何故なら、部活から逃げたら社会性がなくなるよ。
何故なら、学校から逃げたら社会に出て通用しなくなるよ。
何故なら、仕事を辞めてレールから外れたらおしまいだよ。
そんな風に人や世間は当たり前のように言うだろう。
誰もがマンガやアニメの主人公や成功者になれるわけではない
僕は、そういった逃げてはいけないという考えは間違っていると思うし、逃げてもいいと思う。
もちろん、逃げずに立ち向かい続けて、成功した人も沢山いる。
でも、その傍らで、逃げ場がなく、最後まで我慢して最悪な結末を迎えてしまった人も沢山いるのだ。
そういった人達は、間違いなく逃げていたほうがよかったはずだ。逃げるという選択肢があれば違う人生を歩めたかもしれない。
だから、逃げてもいいんだよって、もっともっと世の中が教えるべきだし、そういった逃げ場を無くすような教えはやめるべきだ。
「最悪な結末を迎えるくらいなら、逃げてもいいんだよ」って。
狭い世界の中での批判は気にする必要はない
ちょっとヘマをしたりすると、「そんなんじゃ、どこに行っても通用しないよ」とドヤ顔で言う、上から目線の嫌なヤツは大体どこにでも生息している。
そんな風に毎回言われていると、自分は本当に何もできないヤツなんじゃないのだろうかと錯覚してしまう。
「仮にこの場から逃げても、他所でもダメなんだと絶望してしまう人もいる」。
これはブラック会社が会社に縛り付ける常用手段でもあるわけだが・・・。
まぁそんなことを言うヤツは大抵の場合、気にする必要はない。
何故なら、そいつだって限られた世界しか見てないわけだ。せいぜい多くても10社も見ていないのが殆どだろう。
なので、「どこに行っても通用しない」というのはまるで根拠がないわけだ。
だから、例えその会社が、合っていなかったとしても、だからと行って他で通用しないとは限らない。
結局のところ、「どこに行っても通用しないというのは、自分の思い込みでしかない」。
あるいは、そう思って思考停止するほうが楽なのかもしれない。
そんな風に思考停止するのではなく、自分が通用する場所を見つけよう。
大抵の人間には、何かしら出来ることがあるんだから、きっと。
生きるということは辛くて当たり前という嘘
勉強や仕事、人生は辛くて当たり前なんだから、我慢すると言う人がいる。
確かに、よほど恵まれた人でない限り、思うようにいかないことは多々あるのが当たり前だと思う。
そうやって全てを絶望して受け入れるほうが、その場は楽かもしれない。
人生は辛くて当たり前なんだからシカタナイ。
生きていくにはシカタナイ。
自分が悪いからシカタナイ。
全てをシカタナイと諦めるのも一種の生きる術かもしれない。
でも、人は自分で考えて行動して、少しでも良い場所に自分から行くことが出来る生き物だ。
少しパワーがいるのは確かだけど、自分で行動すれば、今よりは良い未来が待っているかもしれない。
向いていない環境やいじめが蔓延る環境で頑張るより、少しでも好きになれる環境で頑張るほうが100倍楽しいのは当たり前だろう。
もしかしたら、行動した結果、今以上に悲惨なことになる可能性もある。
転職や転校は怖くて当たり前だ、うまくいくとは限らない。
でもね、そうやってリスクをとらずに耐えるより、何年も何十年もシカタナイと自分をだまし続けるほうがよっぽどリスクがあるのではないだろうか?
それに、「自分で行動した結果、ダメだったら納得できるものだ」と思う。
1回ダメになったくらいで、ゲームオーバーにはならない。
エリート街道まっしぐらだった人は別かもしれないが、それでも最悪な結末を迎えるよりは何倍もマシだ。
本当に逃げているのはどちらだろうか?
今置かれた環境を諦め、新しい環境に生きることを探している人に、逃げるな!という人が必ずいる。
果たして、どちらが逃げているのだろう。
もしかしたら、「何事にもシカタナイとつぶやいて、問題を先送りにしている人のほうが、現実から逃げているのではないか?」
上手くいくかわからなくて、不安で、苦しくて、それでも少しでも良いほうに進もうと努力している人のことを逃げていると言う権利はないように思える。
あるいは、そうやって行動できる人が妬ましくて羨ましくて、批判して自分を保っているのかもしれない。
そういう人のことは放っておいていいのだ。
辛くて、苦しくて、先が見える見込みがないのなら、それはきっと逃げるという選択肢が正しいのだから。
色々なことから逃げてきたけど、なんとか生きています
今思えば、僕は逃げまわってる人生を送ってきた。
高校時代、何事にも不器用なのが原因で、いじめられたとまではいかなかったけど、大変居心地が悪い高校生活だった。
だから、授業が終わったら、速攻で帰ってたし、全くと言っていいほど、高校時代の同級生とは遊んだりしてない。
空白の空しい3年間だったが、その当時は3年間我慢すればいいと思ってたから、開き直って学生生活から逃げた。
高校卒業後、卒アルは彼女を探すのに必死だった、中学時代の友達にプレゼント。
まったくもって、必要ないものだったかったから、なんだか、すっきりした。
ケータイのアドレスはそっと変更して、アドレス帳から関連者の人たちは全員消した。
まぁ、相手にとっても不要なものであっただろうけど、こうすると、なんだかその3年間はなかったことのように思えた。
そして、今に至っては、かつての同級生の名前すらあまり覚えていないし、その3年間のせいで何か困ったこともあるわけでもなく、普通に暮らしている。
「不思議なもので、数年経てば、その当時のことは割とどうでもよくなるものだ」。
社会人になって働いてからも、3回転職した。
1社目はどこか宗教染みた薄給ブラック会社。
2社目は社長から直々にいじめをして頂いた。
3社目は入ったはいいけど、つぶれかかっていて、結局辞める羽目になった。
実際、辞めた1年後に潰れた。
4社目は今のところうまくやれている。
「後から振り返ってみて、逃げてよかったと思えるし、それ以外に選択肢がなかった」ように思える。
そして、その選択に後悔することはなかった。やらないよりマシだったし、高校時代と違って、〇年我慢すればいいってわけじゃないしね。
こんな逃げ回っているポンコツでも、何とか生きていけるのだから。
もし、今の環境に悩んでいる人は、逃げるという選択肢もあるよということを心の内ポケットにでもいれておいてくれたら幸いです。
以上、辛い事から逃げることは悪いことでは無い。逃げる選択肢をもつ大切さ、でした。
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