ADHD的LIFE

ポンコツ管理人による世の中にいる5%のポンコツな人達向けの誰得ポンコツブログ

ADHDの第一印象と化けの皮が剥がれるまで

f:id:owaterune:20170806120601j:plain

ADHDはよほどうまい巡り合わせがないと仕事は続かないと思う。
何故ならどんなにうまく立ちまわっているつもりでもいずれはボロがでるからだ。
これが仕事を初めてまもなければなんとかなるだろう。
きっと緊張してるんだろうとか、まだ慣れていないだけなんだろうとか思ってもらえる。
しかし、半年・・・1年と月日は流れ「あれ?こいつなんかおかしくね?やばくね?」と気づかれていくのである。

 

ADHDは一見すると人並みのコミュニケーション力はある

ADHDは一見すると案外明るい(明るそうに見える)人が多いかもしれない。
というのも基本的に人間性能がポンコツ(すげー失礼だけど)なので、性格でカバーしなくてはならないからだ。
今で言う、まじめ系クズという奴が近いかもしれない。いや、まじめに物事に取り組んでるつもりでも、人間性能がポンコツだから結果的にクズなるという、意図してやっていない分、たちが悪いとも言える。


そんなだから、案外面接や初対面での受けは良い。
まじめそう」「人当たりがよさそう」と言った印象を与える人も多いと思う。
勿論、容姿が与える印象も大きいのだろうけど、発達障害の人って別にブサイクとは限らないし、イケメン・美女という人も普通にいる。

 

イケメンの場合はそれだけで仕事ができそうなイメージが出来上がり、自然とハードルが高くなるだろうからそれはそれで大変だと思う。

 

しかし仕事をする上でのコミュニケーション力はあまりない

そんなこんなで面接官を欺き、なんとか入社できたとしよう。
入社数ヶ月は簡単な仕事しか振られず、なんとかこなしてきたとする。
そのうちある程度の仕事を振ってもらえるようになる。

例えば、打ち合わせで会議なんかに参加したり、電話で連絡を取り合ったりするようになる。
この時、普通の人であれば個人差はあるけど、それなりに情報をまとめることができるはずだ。しかしADHDは違う。ワーキングメモリが圧倒的に不足している為、話しについていけなかったりする。
ならメモをとれと言われても、今度はメモをとることに必死になってしまい話が入ってこない。そんなだからもちろん書き漏らしもある。
これは一般的な会社で仕事をしていくうえでは致命的な問題だ。

あの時言ったじゃん」「何を聞いてたの?」「真面目に聞いてた?

こんなふうに言われる日が待っている。そして、これは弁明の余地が無い。
私は発達障害者だから勘弁して下さい」と言っても「だったら辞めれば?」「甘えてるだけだろう」と言われるだけだろうから絶対に言えない。
こんな感じの出来事の繰り返しで再起不能になる人も多いだろう。

 

まぁぶっちゃけ運ゲーだよね

もちろん努力はするけど、限界があるので結局のところ、口約束がない職場やおおらかな人が多い職場や、ルーチンワークが多い場所に行くことを願うしか無いかもれない。
それはもう運でしか無い。
世の中の求人は募集内容とは違うとかイメージが違うとかゴロゴロあるわけで、適応力のない発達障害は運ゲーを繰り返していくしかないかもしれない。

ADHDの僕が社会にでるまでを振り返る

f:id:owaterune:20170806121543j:plain

最近「発達障害」と言う言葉を耳にした方も多いのではないか?
発達障害の分類である、アスペルガー、自閉症はなんか聞いたことあるな「ちょっと変わった人達」という認識の方も多いと思うけど、その程度の認知度ではないかと思う。

僕が発達障害について知ったのも社会人になってからだった。
ネットにあがってるADHDの症状と僕の症状が一致している所を見て、ガッカリしたというよりは、あぁやっぱりなと言った印象をだった。

その後、僕は心療内科で相談することになるんだけど、それは別の機会に書こうと思う。
今回は僕が社会にでるまでをテキトーに振り返って書いてみた。

 

小さい頃から人にできて自分に出来ないことが多かった

思えば、僕には他の子と比べて出来ないことが多かった。
異常に不器用だったし、体育はからっきしダメだった。
かけっこも遅かったし、逆上がりもできなかった。側転もできなかった。
典型的なのび太君のような存在だったけど、のび太君と違うのはドラえもんがいないことと、勉強は中の下くらいにはできたことだ。

 

それでも子供の頃はなんとかなった

周りに恵まれていたのもあるが、おっちょこちょいのお笑いキャラみたいな扱いでなんとか切り抜けた。
一時的なものではあったけど、クラスの人気者にもなったりした。
高校に入るといじめられた時期もあったけど、卒業すればなんとなでもなると思っていた。

 

いいかどうかは別として自分なりに考えて進学した

高校卒業後、Web系の専門学校に進学した。
すでに学生生活やアルバイト等で自分のポンコツ具合がわかっていたから。
パソコンなら手先の器用さは関係ないと思ったし、物を作ること自体は好きだった。
というより、他に選択肢がなかったとも言えた。
学生生活は悪くなかった。リア充とは言えなかったけど、課題も無難にこなして交友関係は少なかったけど、友達には困らなかったかな。

 

配られた手札はどうしようもなかった

発達障害というものを知る前からすでに自分はうまくは生きていけないのだろうという自覚はあった。
その時点で20年も生きてれば、気づいて当たり前といえば当たり前かもしれない。

トランプの大富豪で例えたら、4~9くらいの数字しかないような、革命が起きたとしてもどうしようもない手札だと思う。
投げてしまいたくなるような手札をどうにかしてやりくりしていくしかない。

その後、お約束のように社会の洗礼を浴びることになるのはまた別の機会にでも書こうと思う。