ADHD的LIFE

ポンコツ管理人による世の中にいる5%のポンコツな人達向けの誰得ポンコツブログ

ADHDは妄想の中に生きても、それは悪いとは限らない

f:id:owaterune:20180101111815p:plain
今回はコミPo!を導入してみました。
コミPo!素晴らしいね。絵心が限りなくゼロのオッサンがここまで、それっぽくなるなんて、ホントすごいと思う。
もっと流行ってもいいソフトだと思うんだけどね。値段も手ごろだし。
 
f:id:owaterune:20180101114708p:plain
とりあえず、この娘はADHDのエディーちゃんということにしよう。うん、そうしよう。今後は自分の代役として、気が向いたら色々と働いてもらおう。
え、なんでJKで女の子なのって?そりゃあ、お前、可愛いからだ!いい加減にしろ!オッサンでADHDのマンガなんか誰も見たくないだろ! リアルかもしれないけどさ・・・。
 
話が脱線しましたが、今回はADHDの妄想癖の話です。 
 

 ぼーっとしている時は大体何か別のことを考えている

注意力散漫な理由の一つに、妄想癖に原因がある、と思う。

と、思うといった曖昧な言い方になったのは、僕自体が常に何かを考えている面があるということ。

普通の人の定義は難しいけど、考え事や妄想をするといっても、それは「常に」では無いよね?多分。

その考え事や、妄想や想像も目の前の現実に対するもの、に的が絞られてると思うんだ。

例えば、会社の会議で「コストを削減するには~」ってお題が挙がったとき、「人件費が高い」とか「ここの工程に無駄がある」とか、そういう想像に集中できるのが普通の人なんじゃないかな。

でもADHDは、少なくとも僕は違う、例えばその議題を上げた人のネクタイが曲がってたりして、そっちに気を取られて、あれ、この人ネクタイ曲がりすぎじゃね?とか、どうでもいいことを何故か考えたりしてしまったり、酷い時には全く別のことを考えていたりする。

何か些細なことがトリガーになって、目の前のことに集中できない時がある。
空想の世界にトリップしているような感じだ。

それは周りの人から見れば、あいつ話聞いてんのか、とか、ぼーっとしすぎ、とか眠そうだな、とかそんな目で見られる。ようするにやる気がないように思われるわけ。

 

その妄想・想像・考え事は役に立ったり立たなかったり

僕はその気になれば、いくらでも妄想や想像、考え事ができる。

その考えるジャンルは多種多彩で、例えば、あらかじめ人と会う前に何を話そうとか脳内でシミュレートして、面白い話とかをまとめといておくとか、そんな実用的なものもあるし、仕事の段取りとかを考えておいたりもする。

その逆に本当にしょうもないこととか、記憶に残らないような、くだらないことをずっと考えてたりもする。

冒頭の4コマ漫画でエディーちゃんが洗車していたけど、それは僕が実際にやってたことで、その時は、この1年を振り返ったり、心の中で車にお疲れさまでしたとかつぶやいたりとか、そんなことを考えていたけど、大部分は忘れた。

 

何かをしながら色々思考できることは悪いこととは限らない

僕は昔から単純作業というものが得意だった。

何故なら、常に何かを考えながら作業できるから、時間が経つのがとても早く感じるからだ。

だから、交通量調査のバイトや、弁当のライン作業とかそんな普通の人が発狂するようなバイトも平気で長時間できる。

やったことはないけど、デパートのアドバルーンの監視や、警備の仕事なんかも、なんの苦もなく仕事ができるはずだ。

人としては色々とヤバいかもしれないが、それは長所の一つと考えてもいいだろう。

 

owaterune.hatenablog.com

 

そういえば、1年位前にコンビニでずっとバイトしていた人が芥川賞を受賞したことを思い出した。

 

この作者の村田さんは、ずっとコンビニで働いていて、不思議なことにその最中によくアイデアが沸くとテレビで言っていた。

村田さんが、ADHDだとかそんなことを言うつもりは全くないけど、なんとなくそれはわかる気がするのだ。

客がこない時間帯のコンビニで、品出しをしながら、脳内であれこれと考えて、それをメモして、文章にして具現化していく。そんな姿を想像した。

だから、並行しながら別のことを考えたりできるということは、悪いことばかりではない。

それを具現化して、本や漫画、ブログを書いたりすることもできる。
そしてそれは、きっとやろうと思えば、何らかの手段でできることなんだと思う。

 

思えばこの記事も車を洗車しながら考えていたことだ

ブログを書いたりするようになってから、ブログのネタの為にその妄想をすることが増えた。

この記事も何気なく洗車しながら、妄想をテーマに書こうとか妄想しながら考えていたわけだ。

今まで、そのしょうもない妄想は殆ど大部分を捨てる(忘れる)しかなかった。
ゴミでしかなかった。けど、こうして文章に変換してわずかながらでも、誰かに見られるということは、すこしだけ価値があるものになるかもしれない。

一昔前は、自分の思いを誰かに伝える方法は、ごく限られた手段しかなかった。
今はネットがあるから、文章にしたり、絵にしたり、動画にしたり色々と個人でできるようになった。

だから、その妄想は具現化できて、誰かに思いを伝えられる。やろうと思えば。
そう考えると、ほんの少しだけ救われた気がした。

以上、ADHDは妄想の中に生きても、それは悪いとは限らない、でした。