人生において側転が一度たりとも成功したことがない
自分のスーパー運動音痴っぷりを調べていくと、
僕はどうも、
発達性協調運動障害
とかいうやつらしい。
ハッタツセイ キョウチョウ ウンドウショウガイ・・・
なんかあれだな、もうそういう難しいのよくわからないからさ、
もうシンプルに運動音痴でいいと思わない?
なんならポンコツウンチとかでもいいと思うんだ。
そんなポンコツウンチな僕なので、
もちろん器械運動なんて大の苦手。
当然、人生において側転が一度も成功したことがない。
側転ができなければ、普通の子供でいられない
小学校の器械運動において、
凡人かそれ以下のボーダーラインは側転ができるかどうか?
で、大体判定される。
もちろん僕は残念な子。
このヘタクソなピラミッド図、底だけ人口少ない。
残念な子は残念なことに少数派、
側転は普通にできて当たり前なのだ。
そして、忌まわしい記憶だけど・・・
器械運動は大抵、成績を付けるために、
クラス全員に観られるミニ発表会的なものが開催される。
「いまから発表会します。みなさんは自分のできる技を3つ組み合わせて披露してくださいね!」
「先生、ぼくは・・・前転しかできません・・・」
「え、じゃあ○○君は・・・、
えっと、前転だけして、お芋さんコロコロしてくださいね!」
先生は触ってはいけないものに触れたような顔をしながら、
こう答えた。
ところで、お芋さんコロコロとは・・・
こういった残念な子に対しての救済措置みたいなもので、
どんな技かというと、
本当に芋のように、無様にマットを転がるだけ。
ね、簡単でしょう?
(みんな・・・〇ねばいいのに・・・)
結局、先生の指示にしたがい、
唯一できる、前転をしたあと、
お芋さんコロコロを無様にやり終え、
今にも死ぬんじゃないかと思うような顔でマットを立つ。
しーん・・・。と、静寂が場をつつむ。
(おかしいな・・・笑われると思っていたのに・・・)
そして、
「まぁ・・・元気出せよ、人間向き不向きがあるって・・・」
仲が良かったO君のそんな一言。
(うるせー・・・もう放っておいてくれ・・・)
そして、学んだ。
人間は本当に残念な人を見ると、無かったことにするらしい。と。
大人になれば、側転ができないことは問題ないのか?
側転ができないという、トラウマはできたものの、
大人になればどうということはない。
仕事の経験に側転ができること、
なんて仕事は99.999%存在しない。
ただ、一つ問題があるとすれば・・・
・・・僕には殆ど関係ない話だが、
自分の子供がてきた時だ。
例えば、
僕にかわいい女の子の子供がいたと仮定して、
その子供が小学生に上がって、
体育の授業で側転を習ったとしよう。
「お父さん、そくてん おしえて~」
と無邪気な笑顔で教えてほしいと言ってきたらどうする?
まさか、まさか、
「お父さんは・・・側転はできないよ」
と言えるのだろうか?
いや・・・言えるわけがない。
きっと僕は、またこんな顔をしながら、
「側転は考えるんじゃない、感じるんだ」
とか屁理屈を並べて逃げるんだろう。多分。
器械運動は僕にとってトラウマしか生まなかった。
普通に側転ができる子供になりたかった。
そんなしょうもない話でした。