ADHD的LIFE

ポンコツ管理人による世の中にいる5%のポンコツな人達向けの誰得ポンコツブログ

ADHDは記憶力がない訳ではなく興味がある分野しか記憶できない

f:id:owaterune:20171022143519j:plain

 

ADHDや発達障害と聞くと、頭悪そうとか、要領悪そうとか、ポンコツとかクズとか、沢山のネガティブなワードが連想されるだろう。

僕自身、やったことない、新しい何かに挑戦するということは基本的に超苦手だ。
大体の場面において、同じスタートラインの人に負けるし、やっとのことで出来るようになっても、他の人はさらに上を行っていることが多かった。

そんな不器用な人生を歩んできて、思ったことがある。
人の要領の良し悪しって、記憶力で決まる部分が大きいんじゃないのかと。

なぜ、そんなことを思ったかと言うと、僕は要領がとてつもなく悪い。
言い方を少し変えてみると、「普通の人と違って、新しいことが記憶に定着するのが致命的に遅い」のだ。

なんで、今回は人の記憶力について焦点を当てて、書いてみようと思う。

 

長期記憶(エピソード記憶)とは何か?

人間を含む、おそらく全ての知能がある生き物は、基本的に情報をインプット(入力)して、それをもとに何らかのアウトプット(出力)する生き物だ。

こんな風に書くと、ピンとこないという人は、例えばGoogleやYahoo!を使って、何らかのキーワードを「ググる」という行為に例えてみるといいかもしれない。

例えば、「ポンコツ ADHD」とググり、これをインプットしよう。

そうすると、だーっとそれにまつわるWebサイトの一覧が表示されるよね。
これがアウトプットにあたるわけ。

これはインターネットの世界を例にだしたけど、例えばカレーを料理しようと考えたとする。そうすると、脳みそが「カレー 作り方」みたいな感じで記憶の中をググるわけだ。

すると、脳みそが「カレーですね、このルーを使って、ニンジン何本・・・」みたいな答えを経験則(エピソード)に基づいて導き出す。

このエピソードという事はちょっとやそっとのことじゃ忘れない。
何十年と作ってなくても、カレーの作り方は思出せるし、何十年も乗ってなくても、自転車にも乗れるだろう。

そう、一度定着したエピソードというものは、早々消えることはない。
これを、「長期記憶(エピソード記憶)」と言う。

なので、当たり前だが、経験値不足で、長期記憶の定着がイマイチだとすると正しい答えはだせない。

例えば、カレーをよく知らない、他国の人が脳みそに「カレー 作り方」と指示しても、「カレー? ナンカインド人がよく食べるヤツ? ヨクワカリマセン」となる。 

 

それに対して短期記憶とは何か?

それに対して、短期記憶というものもある。明確な定義はないらしいが、一時的な記憶らしい。

え、じゃあワーキングメモリと何が違うの?と思うかもしれない。

owaterune.hatenablog.com

それについての厳密な定義の違いは、僕もよくわからないけど、ワーキングメモリと言うのは短期記憶というものより、もっともっと短いスパンの事を指すらしい。

つまり、意図的に覚えようとしなくても、人ができるようなもの。例えば、鍵をどこに置いたとか、そんなようなことに使われる無意識な記憶。

短期記憶は例えば、「テスト前に無理やり歴史の年号を丸暗記するような、覚えようと自覚して覚えるような記憶」らしい。

付け焼刃の記憶なら、あんまり必要ないものではないの?と思うかもしれない。

だが、長期記憶になるには、まずは必ず短期記憶を経由するはず。
最初から、なんの情報もレシピもなしにカレーを作れる人はいないよね?

初めてカレーを作るとしたら、誰かに教わったり、インターネットや本からレシピを見たりしながら作るわけだ。

脳のデーターベースである「長期記憶」にカレーという情報はないから、それらから教わって簡単な場所は記憶しながら、料理するよね。

で、「だんだんレシピを見る回数が減っていって、最終的には何もみないでカレーという料理が作れるようになる。それが長期記憶に移行して、記憶が定着した」というわけだ。

その一連の流れは、「足りない部分のパズルを埋めていくようなもので、すぐにパズルが完成する人=要領がいい人、パズルがなかなか完成しない人=要領が悪い人」、と世間で言われている。

 

なぜ、記憶の定着が悪いのか?

一度、記憶が定着してしまえば、多少の差異や味の良しあしはあれど、カレーはカレーだ。

究極のカレーなんてものを求めない限り、誰でも普通のカレーは作れるようなる。
だから、極端な言い方をすれば、長期記憶の質というのは、誰もがあまり変わらないと僕は思う。

なので問題は、「記憶の定着率とされる。それが世間一般で言う要領の良し悪しや、記憶力が良い、悪いということ」だ。

で、ADHDの僕は記憶の定着率がまったく悪い訳ではない。
例えば、どうでもいいことはよく覚えてる。何故だかはよくわからないが、それ前にも同じこと言ってるじゃんって、誰かと話していてよく思う。

話している当の本人は、そんなことはすっかり忘れていて、楽し気に話しているので水は差さないが、「よくそんなこと覚えてるね」って本気で驚かれるレベルで覚えてる。

他にも、「自分の好きなことはすぐ記憶に定着する」。例えば、好きなゲームのキャラクターのパラメーター値を事細かに暗記してしまったり、と自分が好きなもののインプットは極端に早い。

要するに、自分が興味がある分野や場面という限られた局面では「人以上に記憶への定着は早いし、逆に言えば興味がなければ全然覚えられない」ということだ。

これは、きっと記憶力自体は本当はあるんだろうけど、脳みそのコントローラーか何かがぶっ壊れているんだろう。
そしてそのコントローラーは、おそらく治せない。

だから、究極的な考え方をすると、「好きなことを仕事にすれば、要領がいい人間を演じられる」わけだ。

 

無理やりにでも記憶の定着をさせたい

そうはいっても、嫌いなこともやらなくてはいけないことがあるのも人生。
そういった場合は、繰り返し反復して覚えるしかない。

1回や2回、それでもできないなら、10回と、反復しまくるしかない。

ただ、このやり方はあまりお勧めできない。
何故なら、それをしても普通に覚えられる人には太刀打ちできないからだ。

僕たちが1ステップを覚えるために必死にしている間に、他の人はさらに上のことを、2、3、4ステップと覚えている。

だから勝ち目がないのだ。全くと言っていいほど。

なら、覚え方を工夫したほうがよさそうだ。「一連の作業レシピを1から10まで作ってしまう」のだ。
いわゆる、作業のシステム化。それは箇条書きのメモ程度の物でも構わない。
それさえ見れば、「アホでもできるようなシステムに落とし込めれば、無理して経験に基づいた記憶で作業することもない」。

作業のシステム化ができない局面はというと、もうそれは向いていないと諦めるのも手かもしれない。例えばスポーツなんかまさにそうだよね。

例えばリフティングの仕方を教わって、紙に1から10までリフティングのことについて書いたとしてもできるようになるわけじゃない。

みんながボールは友達ってなれるわけじゃないし、そこはもうそれが得意な人に任せたほうがいい場面だろう。

 

まとめ

  • 長期的に定着した記憶を長期記憶(エピソード記憶)という
  • それに対して、一時的な記憶を短期記憶という
  • 要領の悪い人は、興味のないことへの記憶の定着率が悪い
  • 興味があることはしっかり記憶できるので、脳みそのコントローラーがダメ
  • 無理やり記憶をするには反復する必要があるが、時間効率が悪い
  • 記憶をしなくても済むような「仕組み」を作るべし
  • 仕組み作りでも対応できないような場面は、諦めたほうがいい

以上、ADHDは記憶力がない訳ではなく興味がある分野しか記憶できない、でした。