ADHD的LIFE

ポンコツ管理人による世の中にいる5%のポンコツな人達向けの誰得ポンコツブログ

発達障害はフラッシュバックやトラウマに悩まされる

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発達障害の大半は過去に何かしらのトラウマがある人だろう。

過去の嫌な記憶、それは他人から見れば些細なことかもしれない。
気にしすぎ、と笑われる程度のものかもしれない。

だけど、トラウマを抱えている本人は違う。

心にこびりついた嫌な記憶は、時々ふとした瞬間に鮮明に思い出し、その度に嫌な思いをするのだ。

 

嫌な記憶にも役割があるのはたしかだけど

発達障害は色々な問題点を抱えている。

ADHDの僕は忘れっぽいとか、不器用とか、要領が悪いとか、挙げればキリがない。まぁ欠点だらけなのは当の昔から承知しているし、それを受け入れて生きているしかないのだが。

そうした、人としての出来の悪さは数々のトラウマを生み出した。

  • 幼稚園の時、一人だけお遊戯ができなくて親から真面目にやれと怒られたこと。
  • 小学校の時、ふざけて女子を泣かせてしまい、毛虫をみるような目で回りから見られたこと。
  • 中学校の時、二人三脚で一人だけ相方が見つからず、かわいそうな子扱いされたこと。
  • 高校の時、初めてのアルバイトで使えなすぎて社会を舐めるな的なことをボロクソに言われたこと。
  • 社会人になって、要領の悪さから先輩に目をつけられ、何かと理不尽な理由で叩かれたこと。

もちろん、ここで挙げたのはほんの一部で他人から見れば些細なことかもしれないが、本当に沢山の嫌な記憶がこびりついている。

だが、このような嫌な記憶というものにも役割があるのだろう。

人間は色々失敗して学習していく生き物で、失敗した経験をすぐ忘れてしまえばまた同じ過ちを繰り返す。

だから、失敗した嫌な記憶というものは、すぐ忘れないように一定期間は保持しておくのだろう。それが望んだものではなくとも。つまりは失敗を糧にするということだ。

そして、そうした失敗経験も時が経てば次第に薄れていって、やがては忘れ去られるんだろう。大抵の人は。

 

フラッシュバックする嫌な記憶は消せない

でも、僕は違う。一部のそうした失敗談をいつまで経っても忘れられずにいる。それも鮮明に。

ポンコツで失敗が多すぎてそうなってしまったのか、それとも発達障害特有のこだわり等のせいによって、記憶がしばられてしまっているのかは判らないが、消したくとも消せない記憶達。

寝る前など、ふとそうした嫌な記憶がいきなり鮮明に思い出される時がある。全くその記憶は必要のないタイミングで。いわゆるフラッシュバックというやつだ。

小中学校時代の失敗談なんて、もう時効でいいだろうに。どうでもいいし、どうにもならない記憶を鮮明に引っ張り出してなんの意味があるのだろうか。

自分の脳みそが嫌がらせでもしてるのかと本気で疑いたくなる。まぁADHDは脳の機能異常とよく言われてるのであながち間違いでもないかもしれないが。

 

そういえば、スーファミのドラクエ6で「おもいだす」と「わすれる」というコマンドがあった。

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村の人達の会話を覚える機能があって、それを「おもいだす」を使うことによって、文字通り思い出すことができた。ただし記憶には上限があるので、「わすれる」を使って、いらない記憶を消すことができる。

この「わすれる」を、人生においても使えたらなと、何度思ったことだろうか。もう必要もない、錆びてこびりついたゴミのような記憶を取り除きたい。

だが、その部分だけ忘れるなんて都合がいいことは、もちろん人間はできない。そして、この忘れられない記憶というものは、きっとこの先もどこまでも付きまとってくるだろう。

例え、なんかの拍子に大金を手に入れて、一生働かなくてもいい暮らしを手に入れるとか、夢のような出来事が起きて運良く成功したとしても、だ。

 

フラッシュバックの対策、諦める

まぁ、しょっちゅう起きてるわけじゃないし、多分症状としては軽い部類なんだろう。起きた時は確かにイラっとくるけど、長年に渡って当たり前のように起こってることなので、正直慣れたし。またかよーってレベル。

一応、フラッシュバックの対策とか調べてみたけど、趣味に打ち込めとか症状が深刻ならカウンセリングを受けろとか、そんなありきたりなのばかりなので、深刻じゃないなら無視してればいいかという諦めの境地に至った。

owaterune.hatenablog.com

アキラメロン!とか過去の記事でもアホなこと書いていたけど、今回のフラッシュバックについてもしょうがないのでアキラメロン!しようと思う。

どうしようもないことに悩むのは時間と労力の無駄だから。

 

以上、発達障害はフラッシュバックやトラウマに悩まされる、でした。

発達障害は会社をクビになってセミリタイアする可能性も視野にいれよう

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発達障害は会社をいつクビになってもおかしくないと思う。

こんなことを冒頭でいきなり書いたけど、今の仕事は運よく、うまくいっている。
上司からの信頼も厚い、周りからの評判も悪くない。

会社の業績はあまり良くは無いし、給料もたいして良くはない。それを差し引いても、おそらく僕が社会人になってから一番うまくいっている時期だと言っても良いだろう。

それでも発達障害はいつクビになってもおかしくないと思うのだ。

 

それはただ運がいいだけかもしれない

今の環境は、ただただ運がいいとしか思えない。

タイミングよく、ハロワで募集していた職種に応募したら奇跡的に受かり、たまたま、優しい上司に恵まれ、性格が穏やかな人に囲まれている。

仕事内容に関しても自分の得意分野で、傍から見ると普通に働けていると思う。それらは僕にとっては本当に奇跡的なもの。

もちろん、それらは自分で転職と言うアクションを起こした・・・というか起こさざるおえなかったからという結果でもあるが、それにしては自分の実力と隔離しすぎている。

たまたま立ち寄ったパチンコ屋で1000円で確変10連チャンしたような、そんな感触。

 

運と言うものは長くは続かない

最近こんな記事を読んだ。

誰でも運が悪ければ路上生活者になりうる。己の幸運に感謝し、彼の不遇に祈りを唱えたい。 | Books&Apps

ホームレスになってしまった人達をインタビューした記事で、親の介護が必要で退職したら仕事が見つかなくなってしまったり、大手に勤めていたけど、リストラされてしまって、再就職できなかったなんて話だ。

インタビューに出てきた人たちは、社会に馴染めなくて、そういった生活のほうが楽だからというわけではない。

僕たちと同じように、普通に学校に通って、普通に就職して、普通に一生懸命働いてきた人達、普通に人並みの努力してきた人達。

そんな普通に頑張って生きてきた人が、普通の人よりちょっと運が悪かったり、タイミングが悪くて、意図せずそうなってしまったのだ。

僕には他人ごとだとは思えなかったので、自分に置き換えて考えてみる。

もしも、優しい上司が他の部署に異動したり、会社を辞めてしまったりして、新しい上司になったとしよう。

その上司が非常に厳しかったり、パワハラするタイプだったりすると、間違いなく限界がくると思える。

仮に、自分が管理職をやる立場になったとしよう。上司に代わる仕事ができるのだろうか?それは長く会社を務めていればやらざるおえないときが来る。

その時に人をまとめられるほどの力があるのかは・・・わからない。
今の仕事の作業員としては優秀だったとしても、管理職をやる立場で力を発揮できるとは別の話だからだ。

そこそこの規模の会社だから、異動もあり得る話。
全く違う仕事に配属されてしまったとき、ADHDの無能さを存分に発揮してしまうこともあるだろう。

世渡りがヘタクソで不器用な僕は、数年後には仕事を辞めざるおえないような環境におかれるかもれないのだ。

その時、次の仕事が簡単に見つかるとは限らない。
両親が生きているし、貯金もあるからすぐにはホームレスにはならないけど、持ち家はないし、親も裕福ではない。記事にもあるように、仕事・縁・資産が枯渇したとき、そうなる可能性は十分ある。

今、うまくいっていることが幻だったことのように思えるときがくるかもしれない。

 

普通に働けるということは当たり前のことではない

僕は今の会社が4社目だ。年齢も30歳を超えていることもあり、今の仕事を失った場合、次の仕事を見つけることは容易ではないだろう。

もちろんイケメンでモテモテでヒモになれるようなことはない、ただのおっさんなので自分でお金を稼いで生きていくしかないのだ。

そんなことをぼーっと考えていると、一昔前に流行った本、金持ち父さん貧乏父さんをふと思い出した。

金持ち父さん貧乏父さんでは、貧乏父さんの人生はラットレースに例えられていた。
ラットレースというものはいわゆる、ハムスターが回し車で延々と走っているアレのことだ。

SANKO サイレントホイール ゴールデン
SANKO サイレントホイール ゴールデン

貧乏父さんの人生は、一生この回し車のなかで走り続けるハムスターのような人生と例えられていた。
この本を読んだ当時は、貧乏父さんのようになりたくないと思った。でも、今はラットレースに参加できるだけマシなんじゃないかとさえ思える。

発達障害という特性を抱える以上、ラットレースの参加券失うのかわからないのだ。

 

強制セミリタイアをせざるおえなくなる可能性

金持ち父さん、貧乏父さんの本筋は、ラッドレースから抜け出してアーリーリタイアをするために株や不動産等に投資していこうというお話。

アーリーリタイアというのはザックリいうと、不労所得等や莫大な資産を作って早めに仕事を引退してしまおうという、希望に満ちたリタイアだ。

それと似たような言葉で、セミリタイアというものがある。セミリタイアとはそこそこに働きつつ(例えば週三日の夜間警備とか)、足りない部分は、会社以外の収入や貯蓄などで補って生活をするという現実味があるリタイアである。

anond.hatelabo.jp

難易度的にはセミリタイア>>>>>>>アーリーリタイアなのは言うまでもないだろう。アーリーリタイアは相当な博打レベルの投資と、ものすごい努力と勉強をしなければありえない話だ。

だが、セミリタイアなら話が違ってくる。月20万の収入を会社以外から得ることはとても大変なことだが、月数万のなんらかの収入ならどうだろう。頑張ればなんとかなる気がしないだろうか。

実際、趣味の延長でお小遣いを稼いでいる人は実は身近に沢山いるんだけど、みんな金の話はしたがらないから公にでてこない。うまい話は人に教えたくないというのもあるけど。

まぁ、そういった収入がある前提なら、発達障害でも月10数万の警備のバイトをしながら食っていくことは可能だろう。
人によっては、フリーランス等でもなんとかなるかもしれないし、隙間時間にクラウドワークス などで仕事をしてもいい。

気が向いたら1日だけの短期アルバイト をするという手もある。

 

owaterune.hatenablog.com

 

そして、最終手段になるが、オープン就労をするという手がある。
オープン就労というものは、障害者枠で働くという事だ。つまり障害者手帳を取り、発達障害を明かして働くということになる。

普通の仕事(クローズ就労)よりは障害者としての配慮があるため、難しいことは任せられることは少ないだろう。就業時間もきっちりされており、定時に帰れることも多い。

だが、この方法には致命的な欠点がある。プライドというものもそうだが、何よりオープン就労は給料が安い。手取り15万くらいがやっとだろう。

これは障害年金がもらえる前提の給料体系になっているからだが、発達障害は障害年金は貰えることはまずないと考えるべきだ。

通常であれば、オープン就労だけでは、1人で食っていくこともきついが、何らかの副収入があれば話が違ってくる。

障害者の就・転職ならアットジーピー【atGP】

こういった障害者枠用のサービスもあるので、オープン就労ぜざる負えなくなった場合は利用して良い求人を探してもよいだろう。

 

セミリタイアを可能にするために運よく働けているうちに準備しよう

こうしたセミリタイアには何らかの副収入が必要不可欠だが、副収入を得る仕組みというものは2、3日でできるものではない。

コツコツと積み上げてようやく形になるものだ。1か月で100万稼げましたと札束ドヤ顔みたいな写真がデカデカと飾られているような、そんな怪しげな情報商材に騙されてはいけない。

副収入を得るものは、仕事と思えない趣味の延長や興味があるものがいいだろう。というのも発達障害は好きなものには集中出来たり勉強したりできるから、それを利用するのが一番うまくいくはず

金持ち父さんが言いたかった言葉は株や不動産投資をしろ!という事ではない。自分で稼ぐ手段を身につけろということだと思っている。

 

以上、発達障害は会社をクビになってセミリタイアする可能性も視野にいれよう、でした。

多くの発達障害が人生を辛いと感じてしまう理由

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発達障害というやっかいな特性を抱えていると、自分の人生が辛いと感じてしまうことも多いだろう。

このサイトに訪れてくれる人も、ほとんどが発達障害に関する悩みや疑問を検索してたどり着いた方々だ。

その悩みは仕事や生き方、人間関係等々、多岐に渡る。今回は、何故多くの発達障害が人生を辛いと感じるのかを考えてみる。

 

平均的な社会人を求められるから辛い

この社会は「平均」という基準でできている。
右利きの人がほとんどだから、マウスは右手で操作するようにできている。
少数派の左利きの人は我慢して右手でマウスを操作するのを馴れるか、左利き用のマウスをわざわざ探して買うしかない。

これは利き手に限った話ではなく、人間の社会では基本的に多数派が優遇されているのだ。

例えば、身近な電車の駅を見てみると、申し訳程度に設置されたバリアフリー、平均的な身長体重に合わせた電車の座席、日本語や英語で案内板は書かれていても、エスペラント語で書かれた看板は日本では見つけられないだろう。

もちろん、それは仕事なんかも同じで、平均的な年収の仕事は平凡な人の能力を基準にして仕事は作られる。

だから、平凡な人は平均的なレールに乗れやすいし、乗ってしまえばそれなりの人生を送ることが出来る。世渡りもうまい。もっとも、発達障害よりはそういう確率がある、という話だが。

それに対して、発達障害という特性は普通の人より、空気がよめなかったり、不器用だったり、注意力が無かったりする。

たまに同じネジでも回りが悪くてイライラすることが無いだろうか?きっと僕たちはそんな存在だ。普通のネジと同じように回すと、ネジ穴を壊してしまうような。

なので僕たちは「平均」や「普通」という大多数を占める土俵で戦ってしまうと負ける可能性が高い。だって発達障害は普通とはちょっと違うから。

まぁ結局のところ、世渡りがヘタクソなんだろう。
人生が辛いと感じるのは、平均的なレールにうまく乗れないで、もがいているからだ。

 

発達障害で人生が辛いと感じるなら少し違うことをしてみよう

平均と言うものに支配されている社会。世渡りがヘタクソな発達障害。

それなら無理に普通というレールに全力で乗ろうとする必要はない。
というか、むしろ普通であることより、普通でないことのほうが成功する確率が高いのだ。無理して普通を続けることがリスクとも言える。

少しだけでも普通の人と違うことをしたほうが、発達障害はうまくいく」と思う。
少しだけというのは本当に些細なことだけでも良くて、例えば、平均的な人は殆ど本を読まないから、少しでも本を読めば、それだけで知識や考え方に差がつくだろう。

大半の人は投資=ギャンブルだと思っていて、どちらかといえば嫌なイメージだろうから、ひたすら銀行に貯金をし続ける。なので投資について少し勉強するだけで、貯金をしか知らない人より資産に差がつく。

コンテンツは消費するものだと思っているから、YOUTUBEやブログを見て暇をつぶす。コンテンツの作り手になるだけで、消費だけしている人より、Webの様々な知識や、自分で情報を発信する楽しさを知れる。

別に、天才的な絵を書くとか、すばらしい音楽を演奏するとか、売れっ子の漫画家になるとか、そんなんじゃなくても、上に書いたような「ちょっと時間の使い方を普通の人と変えるるだけで沢山のアドバンテージがとれたりする」。

人は平等ではないけど、時間の流れだけは平等だから、その時間をうまく使えれば、それだけで、平均的な人より良い人生を送れるかもしれない。

 

平均的でありきたりなものより、個性があったほうが面白い

社員食堂やデパートに併設されたありきたりなラーメンより、個人店が作った個性的なラーメンのほうが、美味しく感じることは多々ある。

もちろん、ありきたりなラーメンは万人に受けるという長所をもっている。個人店の個性的なラーメンは好みが判れるだろう。でもどちらにも価値はあるはずだ。

発達障害は万人に受けるラーメン屋になれなくても、個人店のラーメン屋さんにはなれるかもしれない。

その為には、少しでもいいから、日常の生活に自分が興味があるもの、やってみたいことを組み込むといい。通勤電車の中で30分だけでもいい。会社から帰って寝る前にちょこっとだけでもいい。

その小さな小さな積み重ねが、何らかの形で回りまわって自分の生きる糧となって、やがて大きな花を咲かすこともある。

それが普通の人との差別化となり、自分の付加価値となり、「平均」という社会で生きていく為の武器になるのだ。

なので、同世代がスマホゲーや、バラエティ番組に夢中になっている間に何かをやってみることが大事。

 

以上、多くの発達障害が人生を辛いと感じてしまう理由、でした。

発達障害の習い事について幼少時代を振り返りつつ考える

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大抵の親は何かしらの習い事を子供に習わせる。

それは、子供の将来に向けての投資だ。身体を鍛えるため、精神を養うため、コミュニケーション能力を高めるため等々・・・。

理由は様々だろうけど、親というものは、子供に幸せになってほしいと思うのが常なのだ。僕は親になったことがないので、本当の意味では分からないけど。

ましてや、自分の子供に発達障害があるってわかったら、得意分野を探してあげたいと強く思うだろう。

子供に限った話ではなく、それは大人も同じで自分への投資というものを何らかの形で続けなければならない。

ただ、何かを学ぶという事は、時間やお金がどうしてもかかるものだし、どうせやらせるなら失敗したくないとは誰もが思う事だろう。

今回は自分の幼少時代を振り返りつつ、発達障害の習い事について考える。

 

習い事の本質とは何かを考える

習い事は一般的に良いことだとされている。

ピアノ、英語、サッカー、習字、スキー、と、適当に並べただけでも、なんか良いイメージがある。ぶっちゃけ、大抵の習い事は、習い事をしてるってだけで何だか素晴らしいことをしているようにまで感じる。

今、適当にあげた中で一流のプロになれれば、それはそれはすごい成功者だ。
一流と言わなくても、それだけで飯が食えるとなれば、十分すぎるレベルだろう。

でも、当たり前のことだが、そんな将来がまっていることは99.99%無い。
それは一握りの才能がある人が、必死に努力をした結果なのだ。

じゃあ、習い事なんかしなくてもよくね?時間やお金を使うの無意味じゃね?って思うかもしれないが、それはそれで極論だと思う。

前述したとおり、別にその分野のプロになれなくても、精神が鍛えられたり、健康になれたり、習い事を通じて友達ができたりと、むしろそちらのほうが主目的なのが大半だ。

 

一つの目的として習い事は才能という温泉を堀探すもの

僕は、習い事の一つの目的として、才能を探ぐるべくするものだと思う。
それは、才能という温泉を探し当てるようなイメージだ。

具体的に言うと、子供の頃に習い事をさせるのであれば、それはどんな分野でも構わないと思っている。

何故なら、子供自身が、何が出来て、何が出来ないかわからないから。
具体的に言うと、自分の能力が自分でも把握できていないからだ。

大人になったら経験則で、これは苦手分野だからやめようとか、これは興味があるからやってみてもいいかなって、判断できる。

子供にはそれが出来ないから、サッカーが得意かどうかもわからないけど、サッカーアニメの主人公に憧れたからとりあえずやってみた。こんなんでも全く問題ない。

結果、まったくもって試合に出れず、何ならリフティングすら身につかなかった。
そんな残念な結果でもいいと思う。

ここで大事なのは、サッカーの才能はなかったということが判明したことだ。
だから、全然無駄じゃない。出来ないことが分かったという事はすごい収穫なのだ。

サッカーの温泉は出ないと分かっただけでも、自分のことを知れたのだから。

 

掘っても温泉がでなかった場所を掘り続ける必要はない

頑張って掘った温泉がでなかったら、違う温泉を探す必要がある。

先の例はサッカーだったので、サッカーを大枠で見ていくと、サッカーというものは球技に属されたスポーツで、バレーボールも野球も、バスケもそうだ。これらは全く違うルールであっても本質的には、身体の動かせ方や頭の使い方は実はとても近いものだ。

何となくだが、サッカーが得意な人はバスケもうまい人が多いってのは経験則でわかると思う。そういう人は球技というカテゴリー自体がうまいと言える。

つまり、球技というカテゴリーに才能が無さそうであれば、次の習い事は球技を避けるべきだという事。

温泉を掘りに行って、ここじゃない!全然出ない!ってなった場合、すぐ近くにまた温泉を掘るのはアホの極みだ。だって肝心の源泉が近くにないんだもの当たり前の話。

それなら、離れた場所で温泉を掘ったほうがいい。だから、サッカーがダメなら次に習うものはバスケでは失敗する可能性が高い。

これは勉強も同じで、理数系、文系なんて分類があるように、教科自体はそれぞれ違うものだが、実は考え方は似た面があるというもの。

というか、世の中の殆どのものは大体ジャンル分けされている。共通要素が近いものは情報を整理する上でそうなるからだ。
そして、人はそのジャンルごと得意だったり、苦手だったりする場合が多い。

ちなみに僕はスポーツは全般的に苦手だが、ウィンタースポーツというジャンルに属するものは人並みにできたりする。(スケート・スノボー・スキー等)
運動音痴の僕だが、すべてのスポーツができないという訳では無いという事だ。

このカテゴリーを意識するということは、非常に大切なことで、仕事選びなんかはまさにそうだ。例えば営業というカテゴリーが本当は苦手なのに経験があるからと、頑なに営業にこだわって失敗して転職しまくる人とかいるよね。

全く才能が無いものにこだわっても良いことはあまりない。
それよりも発達障害は、出来そうなことをできるだけ早く探すべきだ。

 

人並みにできるという事は価値があること

カテゴリーを意識すると、ぼんやりとだが、子供が何が得意な傾向があって、何が出来ない傾向があるのかが見えてくる。

できるという度合いは、県大会に出場できるレベルでなくとも、グループの中で一番というレベルでなくてもいいと思う。

人並みにできるレベル、平均でもいい。

もちろん、できればいいに越したことは無いが、人並みにその分野のことがこなせれば、とりあえず入場券は貰える。

入場券を貰えれば、とりあえず努力すれば人並み以上にはなれる可能性があるということ。そこで頑張ることができれば、とりあえず自信にはつながる。

それだけでもいいんだ。プロになれなくても、県大会に出場できなくても、レギュラーになれなくても。

発達障害に足りないものは成功体験だと思う。小さい失敗の繰り返しで、どんどん自信がなくなって自分は何もできない人間だと思い込んでしまう。

それと同じように、小さい成功を繰り返していけば、自信がついていって、この分野なら頑張ることが出来るって思考になる。

発達障害の度合いにもよるが、僕は本当にダメダメなポンコツで色々なことでスタートラインにすら立つことができなかった。

剣道を習えば、毎回試合でボロボロに負けて、もう自分には向いてないって判っていたのに、親は辞めさせてくれなかった。
全く興味が無くて、辞めたかった英語教室は、全く役に立たず、学校の通信簿では常に5段階中2だった。

そんなんだから、自分に自信が持てなくなった。

もちろん挫折を味わうのも成長するには大事だと思うけど、発達障害は人生において挫折する回数が半端ないので、無理に挫折を習わなくてもいい。

子供時代の僕はとにかく、失敗ばかりするから、何をやっても人並みにこなせなくて苦しくて、生きている価値なんてないんじゃないのか?って思っていたくらいだったし。

僕の場合は幸い、高校卒業後には自分がなんとかできそうな分野を見つけられることが出来て、今でも自分のことはポンコツだとは思うけど、そこまで深刻には思わなくなった。

 

無理に何かを習わせる必要はないんじゃないか?

ここまで長々と書いていて、思ったことだけど、結局何かを習わせるって、子供から興味を示したりするものがあったりする程度のものでいいんじゃないか?ってこと。

きっかけは親であっても、本人が乗り気であれば構わないが、無理やり続けさせるようなことは、子供に負担がかかっているかもしれない。

発達障害は自分が好きなことには頑張れるので、何か一つでもいいので得意分野を見つけて自信をつけるのが大事。

 

以上、発達障害の習い事について幼少時代を振り返りつつ考える、でした。

発達障害にもできる神アルバイト、交通量調査について熱く語ろう

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求人広告でアルバイトを探してみると「誰でもできる、簡単なお仕事です」というのを目にするだろう。しかし、発達障害にとってはそうとは限らない。

対人コミュニケーションが残念だったり、仕事が覚えられなくてポンコツだったりする、発達障害にとっては、簡単なアルバイトのルーチンを覚えるのだって、何かと苦労する。

それでもまだ、学生や20代前半は良いだろう。社会経験少ないから失敗しても仕方ねーやと、周りの目は穏やかだ。

しかし、これがいい歳こいたオッサンやオバサンだったら、というと、歳下からは馬鹿にされ、歳上からもやっぱり馬鹿にされるだろう。生きててごめんなさいってなる。

誰でもできる、簡単なお仕事のはずなのにできないってことは、もはや普通の人からみれば宇宙人的な存在だろう。

なので、発達障害にとって、アルバイトの選び方というものはとっても大事。

今回は、「発達障害でもできる、簡単なお仕事です」と胸を張って言える、神アルバイト「交通量調査」という単発バイトについて熱く語らせてくれ。

 

ほぼ覚えることが何もない

まずね、このアルバイトのマジですごいところは、ただ通行した車をカチカチ、カチカチとカウントするだけという、「本当にまったくもってスキルがいらない」というところだ。

マジで覚えることはなにもない。
というか、幼稚園生でもできるんじゃないかなというレベル。
とにかく覚えることが無さすぎて書くことがない、本当に無い。

よく、そんなアルバイトつまらないと言う人いるが、まぁこういったアルバイトは基本単発であり、お金目的なんだから、面白さは基本的にいらないのだ。

変に複雑なルーチンをやらされて、やらかすことにくらべればよっぽどいい。

 

その場限りの人間関係が気楽すぎる

次に、単発のバイト特有の人間関係がとっても気楽。

そもそも、担当する場所によっては1人だったりもするわけで、その場合は休憩の交代タイミングで声をかけるだけだ。

交差点などの場合は2人で担当して、片方が上と左を見て、もう片方が下と右を見るといったりする場合もあるが、その場合は人通りが少なければ、談笑したりもすることもある。

といっても、本当に初対面の会話なので、当たり障りの無い世間話が殆どだし、話しかけてくる人は話し好きで大抵話が旨い人なので、案外楽しかったりする。

そして、大抵、共通認識になるのが「こんな楽な仕事したことがなかった」というのが笑える。

 

自由行動の休憩時間が沢山ある

休憩時間は大体2時間に1時間くらいある。

その間は公園で休んだりしてもよいし、ファミレスでお茶してもよいし、コンビニで立ち読みしてもいい。

完全に1人での休憩となるので、基本的に交代時間に遅刻さえしなければ、何をしてもいい。

交通量調査のアルバイト現場は家の近くやよく知ってる場所もあるかもしれないが、そんなに都合よく近所ばかりでは無いと思うので、大抵は知らない土地でやることになる。

なので、僕だけかもしれないが、見知らぬ土地を散策するって結構楽しい。
なんかワクワクするんだよね、いくつになっても。ただし方向音痴の発達障害も多いと思うので、念のために言っておく、迷子にだけはならないように。

もちろん、そんなことには興味ないって人はスマホいじったり、本を読んでいたりしてもよい。

とにかく、自由行動なので、気が楽だ。

 

日当と作業時間はこんな感じ

大体この2つのパターンだと思う。

  • 24時間(うち8時間休憩)で2万円
  • 12時間(うち4時間休憩)で1万円

いずれも作業終了後に手渡しで貰える。
尚、現場までの交通費は出ないので、電車賃を考慮すると12時間じゃ割に合わないというのであれば、24時間を選択したほうが効率がいい。

ただし、いくら簡単な仕事とはいえ、24時間やった後の疲労は流石に辛い。
というか朝方の車の通りが少ないときなんて、半分寝かかってしまうレベル。

もちろん、仕事なので寝てはいけないし、現場を見回っている監視員もいるので、気力を振り絞って頑張るしかない。

なので、家帰ったら半日は動けないとみたほうがよいだろう。

移動などの拘束時間を考えると、時給的には良くはないが、まぁとにかく楽なので余裕で許せるレベルだろう。

 

ベテラン作業者のリピーターが多く、なぜか優しい人が多い

実をいうと、この交通量調査というアルバイト、ベテラン作業員のリピーターがとても多い。

まず、作業が簡単で、コミュニケーションも最小で済むというのが一つの要因。
次に、一度作業した人はメールを登録しておけば、アルバイトの情報が入るという点が多いことだ。

登録者には、こんな感じのメールがくる。

 

  • 自動車、歩行者をカウントする作業。
  • 集合場所:XXX駅
  • 日時:11/11 6:00 ~ 19:00
  • 日当:1万円

 

交通量調査の仕事というものは、人を常時雇うものではないので、必要なときに必要な人数を集めなくてはならないので、作業できそうな人を囲い込んでおくということだろう。

そういった事情で、交通量調査のアルバイトには、リピーターがとても多い。
そして、なぜか優しい人が多い気がする。

どういうことかと言うと、普通の仕事に嫌気がさした人や、何らかの事情で会社員を断念した人、何らかの副収入があるので、たまにバイトすればいい人、等々特殊な事情を持つ人が多いからだと思う。

そういったある意味、普通のレールから外れてしまった人達、悪い言い方をすれば、社会不適合者がやることが多い仕事なので、心のどこかに負い目がある分、人に優しくできるのだと感じる。

なので、基本的に初心者には優しく、交通量調査業界のアレコレを教えてくれる普通に良い人が多かった。

 

デメリットや気を付ける点もあげていく

まず、欠点としては外でやる仕事なので、夏は暑く、冬は寒い。
特に「冬は防寒着は必須アイテム」と言っていいだろう。

そして、多少の雨の日でも決行することが多いということだ。

対策としては、「傘とレインコートを必ず用意しておくのと天気予報を見ておく」ということ。天気があれる予報があれば応募しないのも手。

次に意外に忘れがちなのが、筆記用具を持参するということ。
シャーペンと消しゴムは必須なので忘れないようにしよう。

トイレの場所も確保しておく必要がある。
できれば気兼ねなく使える公園等の公共施設がベストだが、付近に無い場合はコンビニやパチンコ店のトイレを借りるしかない。

ただし、お金を使わずに、何回も入るとなると苦情が来てもおかしくないので、「休憩時間にはトイレの場所を複数個所探しておこう」。

あとは基本的に、早朝に駅集合なので、交通費を勘定して割が合うか、そもそもその時間に電車に乗って間に合うか等を考慮しておく必要もある。

 

どうやって募集を見つけるのか

昔は求人広告などでも募集があったが、最近ではインターネットが発達したこともあり、Webでの求人が殆どだ。

バイトル[即日払いOK]の求人情報を検索
バイトル[即日払いOK]の求人情報一覧

バイトルでは、交通量調査のアルバイトも案件も多く、登録しておくとよいだろう。

同様に単発バイトに特化したサイト、1日から働ける激短バイト!ショットワークス に登録しておくのもオススメだ。

できれば「複数サイトを登録しておくほうがいい。理由としては、サイトごとに違う案件を持っているから」。

また、「交通量調査のアルバイトは人気も高く、募集されたらすぐ応募しないと締め切りになってしまうことも多い」。

なので、色々なアルバイト関連のサイトに登録して、チェックするとよいだろう。

 

まとめ

  • 交通量調査は発達障害でも問題なくできるアルバイトである
  • 単発なので、嫌な人に遭遇する確率が低い
  • 休憩時間は一人で気ままにいられる
  • 相場は12時間or24時間で1万円~2万円が多い
  • ベテランやリピーターが多い
  • 辛さは天候に左右される
  • サイトごとに扱う案件が違い、すぐ埋まってしまうことが多いので複数サイト登録するのがおすすめ

以上、発達障害にもできる神アルバイト、交通量調査について熱く語ろう、でした。

ADHDは記憶力がない訳ではなく興味がある分野しか記憶できない

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ADHDや発達障害と聞くと、頭悪そうとか、要領悪そうとか、ポンコツとかクズとか、沢山のネガティブなワードが連想されるだろう。

僕自身、やったことない、新しい何かに挑戦するということは基本的に超苦手だ。
大体の場面において、同じスタートラインの人に負けるし、やっとのことで出来るようになっても、他の人はさらに上を行っていることが多かった。

そんな不器用な人生を歩んできて、思ったことがある。
人の要領の良し悪しって、記憶力で決まる部分が大きいんじゃないのかと。

なぜ、そんなことを思ったかと言うと、僕は要領がとてつもなく悪い。
言い方を少し変えてみると、「普通の人と違って、新しいことが記憶に定着するのが致命的に遅い」のだ。

なんで、今回は人の記憶力について焦点を当てて、書いてみようと思う。

 

長期記憶(エピソード記憶)とは何か?

人間を含む、おそらく全ての知能がある生き物は、基本的に情報をインプット(入力)して、それをもとに何らかのアウトプット(出力)する生き物だ。

こんな風に書くと、ピンとこないという人は、例えばGoogleやYahoo!を使って、何らかのキーワードを「ググる」という行為に例えてみるといいかもしれない。

例えば、「ポンコツ ADHD」とググり、これをインプットしよう。

そうすると、だーっとそれにまつわるWebサイトの一覧が表示されるよね。
これがアウトプットにあたるわけ。

これはインターネットの世界を例にだしたけど、例えばカレーを料理しようと考えたとする。そうすると、脳みそが「カレー 作り方」みたいな感じで記憶の中をググるわけだ。

すると、脳みそが「カレーですね、このルーを使って、ニンジン何本・・・」みたいな答えを経験則(エピソード)に基づいて導き出す。

このエピソードという事はちょっとやそっとのことじゃ忘れない。
何十年と作ってなくても、カレーの作り方は思出せるし、何十年も乗ってなくても、自転車にも乗れるだろう。

そう、一度定着したエピソードというものは、早々消えることはない。
これを、「長期記憶(エピソード記憶)」と言う。

なので、当たり前だが、経験値不足で、長期記憶の定着がイマイチだとすると正しい答えはだせない。

例えば、カレーをよく知らない、他国の人が脳みそに「カレー 作り方」と指示しても、「カレー? ナンカインド人がよく食べるヤツ? ヨクワカリマセン」となる。 

 

それに対して短期記憶とは何か?

それに対して、短期記憶というものもある。明確な定義はないらしいが、一時的な記憶らしい。

え、じゃあワーキングメモリと何が違うの?と思うかもしれない。

owaterune.hatenablog.com

それについての厳密な定義の違いは、僕もよくわからないけど、ワーキングメモリと言うのは短期記憶というものより、もっともっと短いスパンの事を指すらしい。

つまり、意図的に覚えようとしなくても、人ができるようなもの。例えば、鍵をどこに置いたとか、そんなようなことに使われる無意識な記憶。

短期記憶は例えば、「テスト前に無理やり歴史の年号を丸暗記するような、覚えようと自覚して覚えるような記憶」らしい。

付け焼刃の記憶なら、あんまり必要ないものではないの?と思うかもしれない。

だが、長期記憶になるには、まずは必ず短期記憶を経由するはず。
最初から、なんの情報もレシピもなしにカレーを作れる人はいないよね?

初めてカレーを作るとしたら、誰かに教わったり、インターネットや本からレシピを見たりしながら作るわけだ。

脳のデーターベースである「長期記憶」にカレーという情報はないから、それらから教わって簡単な場所は記憶しながら、料理するよね。

で、「だんだんレシピを見る回数が減っていって、最終的には何もみないでカレーという料理が作れるようになる。それが長期記憶に移行して、記憶が定着した」というわけだ。

その一連の流れは、「足りない部分のパズルを埋めていくようなもので、すぐにパズルが完成する人=要領がいい人、パズルがなかなか完成しない人=要領が悪い人」、と世間で言われている。

 

なぜ、記憶の定着が悪いのか?

一度、記憶が定着してしまえば、多少の差異や味の良しあしはあれど、カレーはカレーだ。

究極のカレーなんてものを求めない限り、誰でも普通のカレーは作れるようなる。
だから、極端な言い方をすれば、長期記憶の質というのは、誰もがあまり変わらないと僕は思う。

なので問題は、「記憶の定着率とされる。それが世間一般で言う要領の良し悪しや、記憶力が良い、悪いということ」だ。

で、ADHDの僕は記憶の定着率がまったく悪い訳ではない。
例えば、どうでもいいことはよく覚えてる。何故だかはよくわからないが、それ前にも同じこと言ってるじゃんって、誰かと話していてよく思う。

話している当の本人は、そんなことはすっかり忘れていて、楽し気に話しているので水は差さないが、「よくそんなこと覚えてるね」って本気で驚かれるレベルで覚えてる。

他にも、「自分の好きなことはすぐ記憶に定着する」。例えば、好きなゲームのキャラクターのパラメーター値を事細かに暗記してしまったり、と自分が好きなもののインプットは極端に早い。

要するに、自分が興味がある分野や場面という限られた局面では「人以上に記憶への定着は早いし、逆に言えば興味がなければ全然覚えられない」ということだ。

これは、きっと記憶力自体は本当はあるんだろうけど、脳みそのコントローラーか何かがぶっ壊れているんだろう。
そしてそのコントローラーは、おそらく治せない。

だから、究極的な考え方をすると、「好きなことを仕事にすれば、要領がいい人間を演じられる」わけだ。

 

無理やりにでも記憶の定着をさせたい

そうはいっても、嫌いなこともやらなくてはいけないことがあるのも人生。
そういった場合は、繰り返し反復して覚えるしかない。

1回や2回、それでもできないなら、10回と、反復しまくるしかない。

ただ、このやり方はあまりお勧めできない。
何故なら、それをしても普通に覚えられる人には太刀打ちできないからだ。

僕たちが1ステップを覚えるために必死にしている間に、他の人はさらに上のことを、2、3、4ステップと覚えている。

だから勝ち目がないのだ。全くと言っていいほど。

なら、覚え方を工夫したほうがよさそうだ。「一連の作業レシピを1から10まで作ってしまう」のだ。
いわゆる、作業のシステム化。それは箇条書きのメモ程度の物でも構わない。
それさえ見れば、「アホでもできるようなシステムに落とし込めれば、無理して経験に基づいた記憶で作業することもない」。

作業のシステム化ができない局面はというと、もうそれは向いていないと諦めるのも手かもしれない。例えばスポーツなんかまさにそうだよね。

例えばリフティングの仕方を教わって、紙に1から10までリフティングのことについて書いたとしてもできるようになるわけじゃない。

みんながボールは友達ってなれるわけじゃないし、そこはもうそれが得意な人に任せたほうがいい場面だろう。

 

まとめ

  • 長期的に定着した記憶を長期記憶(エピソード記憶)という
  • それに対して、一時的な記憶を短期記憶という
  • 要領の悪い人は、興味のないことへの記憶の定着率が悪い
  • 興味があることはしっかり記憶できるので、脳みそのコントローラーがダメ
  • 無理やり記憶をするには反復する必要があるが、時間効率が悪い
  • 記憶をしなくても済むような「仕組み」を作るべし
  • 仕組み作りでも対応できないような場面は、諦めたほうがいい

以上、ADHDは記憶力がない訳ではなく興味がある分野しか記憶できない、でした。

辛い事から逃げることは悪いことでは無い。逃げる選択肢をもつ大切さ

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連日ニュースで報道される、いじめ・パワハラや過労の話。
とても嫌な話だけど、日本という国に住んでいる以上、どこか当たり前の話になってしまっているのは悲しい。

日本社会は村社会が根強くて、閉鎖的で人と違うものを極端に排除する傾向があるという。
出る杭は打たれる」なんて、ことわざは、まさにその象徴とも言える。

最近、「よく日本最高!うぇーい!!ニッポンは世界イチィィィイ!!!」みたいなテレビ番組が多いけど、正直、日本と言う国は、どこか陰湿で生き辛い面も多々あると僕も思う。

暗い話ばかりしても仕方ないが、そういった負の面からは目を離してしまっているのではないだろうか。

良い言い方をすれば個性が強い、悪く言えばポンコツな発達障害はもちろん、そうでない人も、残念ながら、日本社会は、ちょっとした出来事でいじめの対象になりやすいのだ。

今回は、不幸にもそういった事に巻き込まれてしまったときの為に、逃げるという選択肢について記事にしてみた。

 

逃げることができない理由

日常的にある、同級生によるいじめや、ブラック会社の悲惨な話。
限界まで我慢することない、「自分を追い込む前に逃げてしまえばよかったのに」・・・と思う人も多いだろう。

でもね、我慢している人たちはそういった「逃げる」という、発想自体がないのかもしれない。

学生なら、通っている学校の世界がその子にとって殆どの時間を過ごす場所だ。
大人だって、行動範囲は広がっても、大抵の人はやっぱり就職した会社が殆ど自分にとっての世界となるだろう。

世界は広い、のは確かだが、一人の人間が触れられる現実的な世界は、やっぱりたかが知れていて、大抵の人は狭くて閉じた空間で生きている。

どんなにテレビやインターネットが発達して、世界中の情報がリアルタイムで見られるようになっても、それは情報として見ただけで、その世界にいるわけではないのだ。

そして、人は追い込まれると、周りのことが余計に見えなくなる。
自分にとってはその世界が全てだから、その世界で傷つけられたり、拒まれたりしても、自分が悪いと責めて、耐え続けてしまう」。限界まで。

本当は、視野を広げれば、逃げ道は沢山あるのに。

 

逃げてもいいんだよとは教えてくれない

何かの危機が訪れたとき、逃げることは一般的に悪いこととされている。

例えばマンガやアニメで主人公は色々あっても逃げたりせず、最後は立ち向かうのがセオリーだ。
エヴァのシンジ君も「逃げちゃだめだ・・・逃げちゃだめだ・・・」って言ってるし、ドキュメンタリー番組とかでも「あの時、諦めないから今があった」みたいな作りはよくあるパターン。

だから、基本的にはどんなに困難があっても「逃げずに立ち向かって頑張ることが大事」とされている。

勉強から逃げてはダメ。

部活から逃げてはダメ。

学校から逃げてはダメ。

仕事から逃げてはダメ。

何故なら、勉強から逃げたら碌な学校にいけないよ。

何故なら、部活から逃げたら社会性がなくなるよ。

何故なら、学校から逃げたら社会に出て通用しなくなるよ。

何故なら、仕事を辞めてレールから外れたらおしまいだよ。

そんな風に人や世間は当たり前のように言うだろう。

 

誰もがマンガやアニメの主人公や成功者になれるわけではない

僕は、そういった逃げてはいけないという考えは間違っていると思うし、逃げてもいいと思う。

もちろん、逃げずに立ち向かい続けて、成功した人も沢山いる。

でも、その傍らで、逃げ場がなく、最後まで我慢して最悪な結末を迎えてしまった人も沢山いるのだ。

そういった人達は、間違いなく逃げていたほうがよかったはずだ。逃げるという選択肢があれば違う人生を歩めたかもしれない。

だから、逃げてもいいんだよって、もっともっと世の中が教えるべきだし、そういった逃げ場を無くすような教えはやめるべきだ。

最悪な結末を迎えるくらいなら、逃げてもいいんだよ」って。

 

狭い世界の中での批判は気にする必要はない

ちょっとヘマをしたりすると、「そんなんじゃ、どこに行っても通用しないよ」とドヤ顔で言う、上から目線の嫌なヤツは大体どこにでも生息している。

そんな風に毎回言われていると、自分は本当に何もできないヤツなんじゃないのだろうかと錯覚してしまう。
仮にこの場から逃げても、他所でもダメなんだと絶望してしまう人もいる」。

これはブラック会社が会社に縛り付ける常用手段でもあるわけだが・・・。

まぁそんなことを言うヤツは大抵の場合、気にする必要はない。

何故なら、そいつだって限られた世界しか見てないわけだ。せいぜい多くても10社も見ていないのが殆どだろう。

なので、「どこに行っても通用しない」というのはまるで根拠がないわけだ。

だから、例えその会社が、合っていなかったとしても、だからと行って他で通用しないとは限らない。

結局のところ、「どこに行っても通用しないというのは、自分の思い込みでしかない」。
あるいは、そう思って思考停止するほうが楽なのかもしれない。

そんな風に思考停止するのではなく、自分が通用する場所を見つけよう。
大抵の人間には、何かしら出来ることがあるんだから、きっと。

 

生きるということは辛くて当たり前という嘘

勉強や仕事、人生は辛くて当たり前なんだから、我慢すると言う人がいる。

確かに、よほど恵まれた人でない限り、思うようにいかないことは多々あるのが当たり前だと思う。

そうやって全てを絶望して受け入れるほうが、その場は楽かもしれない。

人生は辛くて当たり前なんだからシカタナイ。
生きていくにはシカタナイ。
自分が悪いからシカタナイ。

全てをシカタナイと諦めるのも一種の生きる術かもしれない。

でも、人は自分で考えて行動して、少しでも良い場所に自分から行くことが出来る生き物だ。
少しパワーがいるのは確かだけど、自分で行動すれば、今よりは良い未来が待っているかもしれない。

向いていない環境やいじめが蔓延る環境で頑張るより、少しでも好きになれる環境で頑張るほうが100倍楽しいのは当たり前だろう。

もしかしたら、行動した結果、今以上に悲惨なことになる可能性もある。
転職や転校は怖くて当たり前だ、うまくいくとは限らない。

でもね、そうやってリスクをとらずに耐えるより、何年も何十年もシカタナイと自分をだまし続けるほうがよっぽどリスクがあるのではないだろうか?

それに、「自分で行動した結果、ダメだったら納得できるものだ」と思う。
1回ダメになったくらいで、ゲームオーバーにはならない。

エリート街道まっしぐらだった人は別かもしれないが、それでも最悪な結末を迎えるよりは何倍もマシだ。

 

本当に逃げているのはどちらだろうか?

今置かれた環境を諦め、新しい環境に生きることを探している人に、逃げるな!という人が必ずいる。

果たして、どちらが逃げているのだろう。

もしかしたら、「何事にもシカタナイとつぶやいて、問題を先送りにしている人のほうが、現実から逃げているのではないか?

上手くいくかわからなくて、不安で、苦しくて、それでも少しでも良いほうに進もうと努力している人のことを逃げていると言う権利はないように思える。

あるいは、そうやって行動できる人が妬ましくて羨ましくて、批判して自分を保っているのかもしれない。

そういう人のことは放っておいていいのだ。

辛くて、苦しくて、先が見える見込みがないのなら、それはきっと逃げるという選択肢が正しいのだから。

 

色々なことから逃げてきたけど、なんとか生きています

今思えば、僕は逃げまわってる人生を送ってきた。

高校時代、何事にも不器用なのが原因で、いじめられたとまではいかなかったけど、大変居心地が悪い高校生活だった。

だから、授業が終わったら、速攻で帰ってたし、全くと言っていいほど、高校時代の同級生とは遊んだりしてない。

空白の空しい3年間だったが、その当時は3年間我慢すればいいと思ってたから、開き直って学生生活から逃げた。

高校卒業後、卒アルは彼女を探すのに必死だった、中学時代の友達にプレゼント。
まったくもって、必要ないものだったかったから、なんだか、すっきりした。

ケータイのアドレスはそっと変更して、アドレス帳から関連者の人たちは全員消した。
まぁ、相手にとっても不要なものであっただろうけど、こうすると、なんだかその3年間はなかったことのように思えた。

そして、今に至っては、かつての同級生の名前すらあまり覚えていないし、その3年間のせいで何か困ったこともあるわけでもなく、普通に暮らしている。

不思議なもので、数年経てば、その当時のことは割とどうでもよくなるものだ」。

社会人になって働いてからも、3回転職した。

1社目はどこか宗教染みた薄給ブラック会社。

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2社目は社長から直々にいじめをして頂いた。 

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3社目は入ったはいいけど、つぶれかかっていて、結局辞める羽目になった。
実際、辞めた1年後に潰れた。

4社目は今のところうまくやれている。

後から振り返ってみて、逃げてよかったと思えるし、それ以外に選択肢がなかった」ように思える。

そして、その選択に後悔することはなかった。やらないよりマシだったし、高校時代と違って、〇年我慢すればいいってわけじゃないしね。

こんな逃げ回っているポンコツでも、何とか生きていけるのだから。
もし、今の環境に悩んでいる人は、逃げるという選択肢もあるよということを心の内ポケットにでもいれておいてくれたら幸いです。

以上、辛い事から逃げることは悪いことでは無い。逃げる選択肢をもつ大切さ、でした。

 

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